ちいさな結論(その2)
「矛盾した性格の持ち主だった。彼は名誉心があり嫉妬心も強く、高尚でみえっぱり、
卑怯者で英雄、強くて弱くて、子供であり博識の男、
また非常にドイツ的であり、一方で世界人でもあった」のは、
ウィルヘルム・フルトヴェングラーのことである。
フルトヴェングラーのもとでベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめたことのある
グレゴール・ピアティゴルスキーが、「チェロとわたし」(白水社刊)のなかで語っている。
同じ書き出しで、1992年、ピーター・ガブリエルのことを書いた。
「ろくでなし」のことにふれた。
人の裡には、さまざまな「ろくでなし」がある。
嫉妬、みえ、弱さ、未熟さ、偏狭さ、愚かさ、狡さ……。
それらから目を逸らしても、音は、だまって語る。
音の未熟さは、畢竟、己の未熟さにほかならない。
音が語っていることに気がつくことが、誰にでもあるはずだ。
そのとき、対決せずにやりすごしてしまうこともできるだろう。
そうやって、ごまかしを増やしていけば、
「ろくでなし」はいいわけをかさね、耳を知らず知らずのうちに塞いでいっている。
この「複雑な幼稚性」から解放されるには、対決していくしかない。
ピアティゴルスキーは、つけ加えている。
「音楽においてのみ、彼(フルトヴェングラー)は首尾一貫し円満で調和がとれ、非凡であった」