「複雑な幼稚性」(その3)
「音は人なり」という五味先生のことばは真実であり、そこだけにとどまっていないと思う。
「人は音なり」も、また真実のような気がする。
「音は人なり」が示すように、その人の生き様が、音に反映される。
だがそれだけ終ってしまうわけではなく、その人となりが顕在化した音に、
聴き手は知らず知らずに影響を受けている。
使っているオーディオ機器、そこで鳴っている音に、聴く音楽が左右される。
オーディオ機器を使っているつもりで、油断しているとオーディオ機器に使われている。
鳴っている音に、影響されていないと断言できる人が、はたしているだろうか。
生き様が音にあらわれ、その生き様が音として、もどってくる。
ぬるい生き方ならば、ぬるい音がもどってくる。
いびつな生き方をしていたら、いびつな音がもどってくる。
そして音に影響され、またそのことが音に反映される。悪循環ではないか。
真剣な生き様であれば、真剣な音が鳴ってくる。
熱い生き様であれば、熱い音が鳴ってくる。
そういう音が戻ってくる、影響される。そしてまた音に反映される。
「オーディオは趣味だから」という逃げを口にしたら、そのことが音としてあらわれる。