ロングランであるために(その17)
山中先生からきいた話がある。
同じことを、菅野先生との対談も語られている。
ステレオサウンド 70号の巻頭対談に載っている。
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山中 アメリカの小売店というのは、これは昔からそうなんですが、ある街にオーディオ店が何軒かあるとすると、扱っている商品がすべて違うんです。ですから、お客さんも全部違う。しかも、扱っている商品に関して、サービスが徹底し、メインテナンスもすべて自分のところでできるくらいになっています。
補修用のパーツをメーカーからとって、ある程度の修理は、自分のところで引き受けられるくらいの店としての技術、格式、誇りがあるんです。お客のほうもそこを頼りにしていきますしね。人間対人間の信頼関係によって商(あきない)が成立しているのです。
菅野 ですから外国のメーカーの人が日本に来て、その販売事情を見てまず感じるのは、日本のオーディオ店は、オーディオ販売店じゃないと、あれは単にオーディオサプライヤーであると厳しく非難してゆきます。
売るという行為は何もしていないじゃないか、売るということは、売った物に対して責任を持つことであり、当然サービスが必要であり、自分が信じて、要は自分の好きなオーディオ機器を自信をもって説得するのがセールスであるという考え方を彼等は当然なこととしてもっている。ところが、日本にセールスはないと言いますね。量販、量販できたことの弊害というのは、今、様々なレベルで表に出ない問題をかかえこんでしまっていると言えるでしょう。
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ステレオサウンド 70号は1984年3月に出ている。
約30年前の話ではあるから、アメリカ、ヨーロッパのオーディオ機器の販売の状況も変化しているかもしれない。
でもアメリカの小売店の在り方は、個人によるガレージメーカーが主宰者をなくしたあとも、
修理、メンテナンスを継続していくうえで採り入れていくべきことであり、
そのままでは無理でも、この在り方を参考にしての、個人によるガレージメーカーの在り方がある、と考える。
個人によるガレージメーカーの製品は、数としてそれほど多くは出ない。
文字通り個人(ひとり)でやっているのだから、作っていける数にも限りもある、
取り扱ってくれる販売店の数も多くはないだろうから。
だからこそ、山中先生が話されている、アメリカのオーディオ店の存在とその関係が必要であるし、
またそれが可能である、はずだ。