Date: 5月 22nd, 2012
Cate: D130, JBL
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D130とアンプのこと(その2)

日本においてはウィリアムソン・アンプのことが広く知れ渡るようになったのは、
1947年の「Wireless World」の記事ではなく、2年後の49年の同誌8月号に掲載された、より詳細な記事であり、
この記事が翌50年のラジオ技術3月号に掲載されてから、ということだ。

アメリカではどうだったのだろうか。
当時の日本と比べれば、出力トランスの優秀なものはいくつもあったと思う。
けれどパートリッジ製のトランスと同等の性能のトランスで、
出力トランスの2次側から20dBものNFBをかけて高域で発振しないトランスは、
それほど多くはなかったのではなかろうか。
だからこそ、ウィリアムソン・アンプはアメリカでは注目されていったように思う。

JBLのD130は1948年に登場している。
ウィリアムソン・アンプの最初の記事の1年後なのだが、
アメリカに住むランシングがこのときウィリアムソン・アンプを手にしていたとは思えない。

ランシングがどんなアンプを使っていたのか、で、もうひとついえることは、
自作の真空管アンプ、もしくは電蓄の真空管アンプに近いものであった可能性がある、ということ。

いわゆるハイファイアンプと呼べる真空管アンプが登場するのは、もう少し後のことである。
マッキントッシュがユニティ・カップルド回路で特許を取得したのが1948年、D130と同じ年。
マッキントッシュの設立は翌49年1月のことである。
マッキントッシュの最初のアンプはパワーアンプ15W-1、50W-1である。

一方マランツの設立は1951年で、最初のアンプはコントロールアンプのModel 1で、
パワーアンプのModel 2の登場は1956年のことである。

マッキントッシュの15W-1、50W-1の回路がどうなっているのかは知らない。
回路図を見たことがないからだが、1951年に登場した20W-2の回路図を見ると、
出力トランスの2次側からのNFBはない。
おそらく15W-1、50W-1も出力管とそれにともなう出力の違いはあっても、
基本的な回路は20W-1と同じと考えていいはずだ。

となるとマッキントッシュの最初のパワーアンプも出力トランスの2次側からのNFBはなかった、といえる。
NFBは出力管のカソードから初段管のカソードへとかけられている。
もちろんプッシュプル構成なのでNFBの経路は2つあるわけだ。

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