ハイ・フィデリティ再考(原音→げんおん→現音)
現音──、現れた音は、つまりは再生音のことである。
マイクロフォンが捉えた空気の疎密波を電気信号に変換し処理し、
LP、CD、ミュージックテープという形態で聴き手に届けられたモノから、
ふたたび電気信号に変換しスピーカーを駆動して空気の疎密波をつくり出すことで、
音が、そして音楽が聴き手の前に現れるわけだから、現音=再生音ということになる。
ただこれではあまりにも当り前すぎて、あえて当て字を当て嵌めて考えていく意味がない。
現音=再生音から離れたところでの現音とは、
何かを変えたり調整がうまくいったこ聴き手に姿を現す音のことだともいえよう。
昔はよく「レコードにはこんな音まで刻まれていたのか!」という表現が使われていた。
それまで聴こえてなかった音、意識されなかった音がはっきりと意識できるようになれば、
これはまさに現音であり、現音のいい例でもある。
調整の過程では時として使っているオーディオ機器の限界が見えてくることもある。
それまではそのオーディオ機器の音の個性として感じられていたのに、
そうなってしまうと音のクセとして気になってしまう。これも現音の一例だと思う。
「現」という漢字には、いままでみえなかったものがみえるようになるという意味がある。
だから、いままで聴こえてこなかった音がきこえてくるようになるのも現音であるわけだが、
その一歩先には、まさに目に見えるような音としての現音がある。
この現音は、ただ単に音像定位がいいとか、音像が浮び上る、とか、そういったこととは違う。
はっきりと、そういう音像とは違うものとしての現音を聴いた体験があるからだ。