純度と熟度(その4)
処女作には──、ということが昔からいわれ続けている。
たとえばクレル。
クレルのPAM2とKSA100のペアを最初に聴いた時、ほんとうに驚いた。
この時のクレルはごく初期のモノで、フロントパネルの仕上がりが独自のものだった。
トランジスターアンプで、こういう音が出るようになったのか、と驚いた。
そのフロントパネルの仕上げに通ずるところもある質感に、
瀬川先生が、この音を聴かれたなんといわれただろうか、と妄想もしていた。
そのくらいクレルのPAM2とKSA100の音は、
マークレビンソンのLNP2とML2のペアが鳴らす音の世界とは対極にあり、
続いて登場したKSA50、KMA200の音にも魅了された。
クレルのフロントパネルは、金属加工を受け持っていた職人が亡くなったため、
その後、どのように試行錯誤しても同じ質感のパネルは出来上ってこなかった、らしい。
そして、このころからクレルの音は変化していったように記憶している。
KRSシリーズからは、はっきりと変っていった。
どちらが優秀なアンプなのかどうかではなく、あんなにも魅力的だった初期のクレルの音は、
もう聴けないのか──、そんなふうに感じさせる変化でもあった。
クレルを例に挙げたが、クレルだけに限らない。
マークレビンソンのアンプもそうだし、この時代に登場した新興メーカーのアンプの多くに、
そのことはあてはまった。
デビュー作が市場で高い評価を得る。同時にフィードバックもかえってくる。
それまでのフィードバックといえば、自分の周りにいるオーディオ仲間だけだったのが、
国中から、そして世界中から返ってくるようになることで、
ある種の「純度」は失われていくようにも、いまも感じている。