老いとオーディオ(齢を実感するとき・その28)
今年の1月に六十になった。
同級生もみな六十になったわけで、
たぶん同窓会があるんだろうなぁ、ぐらいには思っていた。
少し前に実家の母から電話があって、同窓会の知らせがあった、とのことだった。
6月にやる、とのこと。
3月ではなく6月なのは、コロナ禍の影響があってのことなのだろう。
幹事をやっているHさんは、実家からわりと近いところに住んでいる。
小学生だったころ、ひどい喘息だった。
Hさんには、小学一、二年、同じクラスだったこともあり、お世話になっていた。
Hさんは、わざわざ実家を訪れて、同窓会のことを知らせてくれた、とのこと。
Hさんの話によると、同級生の三十人ほどがすでに亡くなっている、ということだった。
三十人というのが、多いの少ないのか、なんとも難しいところなのだが、
三十人ときいて、そんなに──、と思った。
同じクラスだった同級生も三十代半ばで亡くなっている。
他の人たちは同じクラスになったことはないから、
名前も顔もわからないのだけれど、それでも三十人という数字は、頭から離れない。
REPLY))
三十というのは多いと思いました。中学校の同級生で20人と言うところです。それに小生は既に70を越えていますので。
小生もずっと喘息で、今も毎日3種類の薬を飲み、何かに備えて気管支拡張剤を持ち歩いています。
しかし還暦の頃には未だ日々の雑務に追いまくられていて、母を送ると言うことも未だだったような気がします。ただコロナの3年間は自分ばかりでなく、小生より若い人々の考え方を変えさせたかも知れません。小生も遺言を作り信託の手配をしました。法定相続人がいない立場では、現行法律下では、余程注意を払っていても国庫納付となって、葬式の費用も他人の税金をむしばむことになりますし。