Date: 1月 29th, 2022
Cate: 瀬川冬樹
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瀬川冬樹氏のこと(バッハ 無伴奏チェロ組曲・その7)

その1)を書いたときには、そんなこと考えもしなかったのだが、
この項で書こうとしているのは、
瀬川先生にとっての「心に近い音」についてなのかもしれない──、
そう思うようになってきた。

なので、(その1)で引用している瀬川先生の文章を、もう一度である。
     *
 JBLが、どこまでも再生音の限界をきわめてゆく音とすれば、その一方に、ひとつの限定された枠の中で、美しい響きを追求してゆく、こういう音があっていい。組合せをあれこれと変えてゆくうちに、結局、EMT927、レヴィンソンLNP2L、スチューダーA68、それにPM510という形になって(ほんとうはここでルボックスA740をぜひとも比較したいところだが)、一応のまとまりをみせた。とくにチェロの音色の何という快さ。胴の豊かな響きと倍音のたっぷりした艶やかさに、久々に、バッハの「無伴奏」を、ぼんやり聴きふけってしまった。
     *
この文章は、ロジャースのPM510の新製品紹介記事である。
これを読んで、PM510を買おう! と決心したし、実際にPM510を手に入れることができた。

この文章だけでも、PM510こそ! と思ったはずなのだが、
ステレオサウンド 53号での瀬川先生の4343研究を読んでいたからこそ、
PM510のことがよけいに気になる存在となった。

このブログでも何度か取り上げているように、
53号で、JBLの4343をオール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動を試されている。

その記事の最後に、こう書かれている。
     *
「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。
 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音(注)は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。
 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
 そう思ってみてもなお、ここで鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。
     *
この時の音こそ、瀬川先生にとってもっとも「耳に近い音」だったのか──。
その九ヵ月後の56号での、PM510の音のこと。

そして、そこに登場するディスクのこと。

昨日の夜おそく、そして今日、
二日かけて、フルニエのバッハの無伴奏チェロ組曲を聴いていた。
MQA Studio(192kHz)で聴いていた。

3 Comments

  1. Hiroshi NoguchiHiroshi Noguchi  
    1月 31st, 2022
    REPLY))

  2. 松本のホテル花月のそばに、サイトウ記念の演奏者がよく訪れるおそば屋さんがあって、2015年頃でしたか、そこでまさに「ある枠の中で美しく」PM510が鳴っていました。フルニエの無伴奏には62年頃のアルヒーフのLPになっていたものと、割合最近になって学生時代に聞いた72年の東京ライブ版が出て、懐かしく記憶を辿っていました。フィリップスにも録音はあるようですが、どれを楽しんでおられるのですか?
    あの頃チェロがバイオリンやピアノに比べて切符が安かったので、チェロをいろいろ聞いていました。ロストロポーヴィッチもソルジェニーツインでソ連を出られなくなる前、切符代1200円で聞けたのをよく覚えています。でもフルニエは音色が美しく、ミスタッチが多くても、豊かで包み込まれるような響きは他では味わえないものでした。アルヒーフの演奏も、最近は針を落としていませんが、兎に角立派だったと思います。ハイレゾは興味はあるのですがまだ支度を調えるまでまいりません。今年度の非常勤の講義も終わって、来年の11月まですることがないので、やってみたいとは思っているのですが。

    1F

    アルヒーフ盤です。瀬川先生が聴かれていたのもアルヒーフ盤です。このへんのことは、(その3)に書いています。

    2F

  3. Hiroshi NoguchiHiroshi Noguchi  
    2月 2nd, 2022
    REPLY))

  4. 有り難うございます。その2と3拝読しました。フルニエの低域は「音階のある太鼓」のような音で、弦を弓で擦った音とはまるで違って他にないものでした。トルトリエやシュタルケルの方が東京ライブに比べると遙かに正確な演奏をしていましたし、ジャンドロンは自由な歌心の素晴らしい音楽と聞かせてくれていましたが。小生にとって最初がアルヒーフのLPではなかったかも知れないのですが、やはりフルニエのバッハが基準になっていたのかもしれません。ちなみにフルニエケンプでベートーベンのチェロソナタは初めて聴いています。
    デュプレはついに聞く機会がなく、十年ぐらい前にハイドンやドボルザークを聴いて歌心の香り立つ演奏に、人々が語ってきたことが随分遅くなって初めて納得できました。ズッカーマンとバレンボイムとの室内楽の公演が、彼女の不調で中止になったとき、バレンボイムのリサイタルに変更になった会場で、一度だけ不機嫌そうな表情をみる機会がありました。その時にはその後のことは想像もつきませんでした。もし病名を知っていれば、思わず顔を背けただろうと思います。ケルトの神に愛された、としか言えません。

    3F

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