オーディオがオーディオでなくなるとき(その14)
オーディオにデジタルの技術が入ってきたことで、
レベルの底上げは確実に起った。
CDが登場する以前、カセットデッキにマイコンが搭載されるようになった。
アジマス調整、バイアス調整などをマイコンが自動的に行ってくれるようになった。
それまで、もしかするといいかげんなバイアスで録音していた人もいたであろうし、
アジマスの狂ったデッキで録音・再生している人も、まちがいなくいたはず。
そういった人たちが、マイコン搭載のカセットデッキを購入するのかはその人次第だが、
少なくともマイコン搭載のカセットデッキを使えば、
上記のようなことはまず起らない。
これだけでもテープ録音・再生のレベルの底上げにはなっていた。
そしてCDとCDプレーヤーが、1982年に登場した。
いまだ、この時、オーディオ評論家がこぞってCDを絶賛したから──、
という論調で批判する人が少なからずいるが、ほんとうにそうだろうか。
アナログディスクと比較して、CDは音が硬いとか冷たいとか、ギスギスしている。
そんなことがいわれたことがある。
いまもっていっている人もいる。
これもステレオサウンドで何度も活字になっていることなのだが、
アナログディスクをよく鳴らしている人のところでは、
CDを持ち込んでも、うまく鳴ることが多かった。
CDがひどい音で鳴る場合、たいていはアナログディスクの音も、
普遍性があまりない音で、かなり独断的な音で鳴っていた。
つまり、鳴らし手の独自の世界、といってしまうときこえはいいが、
実際のところ、独断の世界ができあがっており、
そこにCDという新しいメディアを持ち込めば、拒否反応が起る。
この拒否反応は、システムの音のことでもあり、その鳴らし手のなかで起きることでもある。
その拒否反応をどう受け止めるかで、
その後の、その人のオーディオは大きく変っていくであろうし、
あいかわらず狭い世界でままかもしれない。
そういう意味でも、CDとCDプレーヤーの登場は、
再生のレベルの底上げとなった。