AAとGGに通底するもの(その15)
グールドのゴールドベルグ変奏曲を、肉体を全く感じさせない音で、
しかもアップライトピアノで弾いているふうに聴かせたスピーカーシステムのほうが、
私がいいと思っているスピーカーシステムよりも、忠実度の点では優れていると仮定しよう。
つまり、私が、ほかのスピーカーシステムで聴いたときに感じた演奏者の肉体、
それからグランドピアノと感じた音は、じつはそのスピーカーシステムの固有音によってつくられたもので、
実際には、録音にそういう要素は含まれていなかった、と考えることも可能だ。
グールドが弾いたピアノはヤマハCF、もちろんグランドピアノだが、
録音の不備で、じつはアップライトピアノのような音で収録されていた。
ピアニストの肉体などというものは、マイクロフォンでは捉えることができない。
そんなことが、ほとんど脚色されずにストレートに再生されたために、
肉体のない音、アップライトピアノのような音に聴こえただけであって、
スピーカーシステムに欠陥がないばかり、むしろ非常に優秀といえるし、それだけ新しい時代のモノでもある、と。
マスターテープにどんな音が収録されているのかは、じつのところ誰にもわからない。
録音している人も、完全にわかっているわけではない。
マイクロフォンがとらえている音に関しても同じだ。
だからこそ、上に書いたような考え方もできる。
そんなことはない、と私は思っているけれど、でも、それを実証することはできない。
そういう可能性は、ある。
私が欠陥スピーカーと思っているスピーカーシステムの鳴らす世界こそ、正しいものだとしても、
それでも、私が、そういうスピーカーシステムを選びはしない。
どんなにそれが正しい、としても、
グールドのゴールドベルグ変奏曲をあんなふうに鳴らされるのは、おかしいと、判断する。
私が、ゴールドベルグ変奏曲を、肉体を感じさせる音でグランドピアノで弾いている音を、正しい音とする。