Date: 5月 24th, 2019
Cate: High Resolution
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MQAのこと、音の量感のこと(その1)

別項「メリディアン 218を聴いた(その12)」に、facebookでコメントがあった。
これまでならば、
「メリディアン 218を聴いた(その12・コメントを読んで)」というタイトルで書くところだが、
そのコメントを読んでいて、そうしなかった。

コメントをくださったTさんは、
私が218について書いてきたものに刺激され、試聴せずに218を購入されたそうだ。

Tさんは、これまでもMQA再生は、試されていたようだ。
MQA-CDではなく、MQAファイルを簡易的な再生で聴かれていた印象と、
218でのMQAファイルの再生とでは、明らかにレベルの違いを感じさせる音になって、
感心した、とあった。

こういうコメントをいただくと、素直に嬉しい。
そして、やっぱりMQAの音の良さを、きちんとわかってくれる人はいる。
この当り前のことがわかって、さらに嬉しい。

Tさんは、MQAフルデコードの音は、
「空気の量が増えた」印象がある、と書かれていた。

この「空気の量が増えた」が、タイトルを変えた理由になっている。

昔から、量感という表現がある。
私がオーディオに興味をもったころには、
もう当り前のように使われていたし、
音を表わす表現としても、かなり以前からあるものと思われる。

けれど、この、わかりやすく思える量感ですら、
人によって捉え方が違う、ということを感じることが増えている。

「空気の量」は、
私も「メリディアン 218を聴いた(その10)」で使っている。

そこでは、ULTRA DACと218の音の違いを表わすために使った。
まだ「メリディアン 218を聴いた」は書いている途中であり、
「空気の量」については、通常のCDとMQA-CDの違いについてでも使おうと思っていた。

そうなのである。
確かに「空気の量」が増す。

218での通常のCDとMQA-CD(私はまだMQAQファイルを聴いていないので)でも、
後者のほうが「空気の量」が増す。
ULTRA DACでも同じである。
MQA-CDでは「空気の量」が増す。

218とULTRA DACを比較すると、ここでも「空気の量」が増す。

この「空気の量」が増す感覚こそが、
私にとっての量感そのものである。

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