MQAのこと、音の量感のこと(その1)
別項「メリディアン 218を聴いた(その12)」に、facebookでコメントがあった。
これまでならば、
「メリディアン 218を聴いた(その12・コメントを読んで)」というタイトルで書くところだが、
そのコメントを読んでいて、そうしなかった。
コメントをくださったTさんは、
私が218について書いてきたものに刺激され、試聴せずに218を購入されたそうだ。
Tさんは、これまでもMQA再生は、試されていたようだ。
MQA-CDではなく、MQAファイルを簡易的な再生で聴かれていた印象と、
218でのMQAファイルの再生とでは、明らかにレベルの違いを感じさせる音になって、
感心した、とあった。
こういうコメントをいただくと、素直に嬉しい。
そして、やっぱりMQAの音の良さを、きちんとわかってくれる人はいる。
この当り前のことがわかって、さらに嬉しい。
Tさんは、MQAフルデコードの音は、
「空気の量が増えた」印象がある、と書かれていた。
この「空気の量が増えた」が、タイトルを変えた理由になっている。
昔から、量感という表現がある。
私がオーディオに興味をもったころには、
もう当り前のように使われていたし、
音を表わす表現としても、かなり以前からあるものと思われる。
けれど、この、わかりやすく思える量感ですら、
人によって捉え方が違う、ということを感じることが増えている。
「空気の量」は、
私も「メリディアン 218を聴いた(その10)」で使っている。
そこでは、ULTRA DACと218の音の違いを表わすために使った。
まだ「メリディアン 218を聴いた」は書いている途中であり、
「空気の量」については、通常のCDとMQA-CDの違いについてでも使おうと思っていた。
そうなのである。
確かに「空気の量」が増す。
218での通常のCDとMQA-CD(私はまだMQAQファイルを聴いていないので)でも、
後者のほうが「空気の量」が増す。
ULTRA DACでも同じである。
MQA-CDでは「空気の量」が増す。
218とULTRA DACを比較すると、ここでも「空気の量」が増す。
この「空気の量」が増す感覚こそが、
私にとっての量感そのものである。