スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その9)
岡先生が、ステレオサウンド 61号に書かれている。
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とくに一九七五年の「コンポーネントステレオの世界」で黒田恭一さんを交えた座談会では、徹底的に意見が合わなかった。近来あんなにおもしろい座談会はなかったといってくれた人が何人かいたけれど、そういうのは、瀬川冬樹と岡俊雄をよく知っているひとたちだった。
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1975年の「コンポーネントの世界」の座談会は読みたかった。
といってもバックナンバーは手に入らず、
読むことができたのはステレオサウンドで働くようになってからだ。
といっても二ヵ月ほどしか経ってない。
(岡先生は「コンポーネントステレオの世界」と書かれているが、
1975年版は「コンポーネントの世界」で、’76年以降「コンポーネントステレオの世界」となる)
おもしろかった。
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の座談会は、
「コンポーネントステレオの世界」’76年度版でも行われている。
「コンポーネントの世界」でのタイトルも、
’76年の「コンポーネントステレオの世界」でのタイトルも、
「オーディオシステムにおける音の音楽的意味あいをさぐる」である。
この座談会で、「頭の中のイコライザー」という表現が出てくる。
瀬川先生の発言の中に、出てくる。
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たとえばこの試聴のようにいろんなスピーカーを聴いてみると、それぞれ違った音の鳴り方をします。その音が、われわれ三人の耳もとまでは、客観的に違った音色でとどいているんだけれど、それぞれの頭の中に入ってしまうと、岡さんがARで聴かれた音と、ぼくがKEFで聴いた音とが、じつは同じような音になっているのではないのか、という気がしてならないわけです。極論すれば、ひとりひとりの頭の中にイコライザーがあって、それが人によってAR向きにできていたり、JBL向きにできていたりしているんではないのか。したがって耳もとまできた音と、それぞれの人の頭の中に入った音とは、じつは全然違ったものになっているのではないのかという気がするんです。しかも、頭で聴きとった音をつぎに口でいい表わしてみると、たとえばどんな音がいいのかといったことをいうとき、いい音というのがいいにくいとしたら、少なくともどんな音は避けたいということを言葉でいってみると、三人ともあまり違わないのではないか。そんな気がしてなりませんね。
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この座談会は、「良い音とは、良いスピーカーとは?」で読むことができる。