アンチテーゼとしての「音」(その11)
「毒にも薬にもならない文章」を書くことを選択し、
好んでマーラーを聴くことはしなかった知人は、
よく「音楽を聴くことで浄化される」ということを口にしていた。
知人は、五味先生と同じ意味で言っているようだったが、
私の耳には、同じように言っているだけにしかきこえなかった。
毒のある音楽を拒絶するのは、その人の自由である。
知人が好んで聴く音楽は、そして演奏は、毒のあるものではなく、
清らか、という言葉で表現できるものが多かった。
汚れていない音楽(演奏)ときこえるものを、知人は好んでいた。
そして清潔感という言葉もよく使っていた。
彼は、だからワーグナーも好んで聴くことはしなかった。
それが知人の音楽の聴き方であり、
そういう音楽を鳴らすためのオーディオ(音)であり、
それが知人にとって必要と思えるものだったのだろう──、
と一応の理解は示せても、やはり違うだろう、といいたくなる。
あなたがいう浄化と五味先生がいう浄化は、はっきりと違う、と。