新製品(TANNOY Legacy Series・その16)
いぶし銀という、音の表現がある。
いぶし銀そのもののではないが、
ほぼ同じ意味合いの表現が、五味先生の「西方の音」に出てくる。
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アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
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《音を銀でいぶしたような》、まさしくいぶし銀である。
そして「教養のある音」が、いぶし銀と表現できる音といえるが、
いぶし銀とは、硫黄をいぶして、表面の光沢を消した銀のことである。
おそらく、いぶし銀という表現はだんだんと使われなくなっていくだろうし、
たとえ使われたとしても通用しなくなってもいくであろう。
そのいぶし銀のような音の代表が、タンノイの音でもある。
もちろんうまく鳴らした時のタンノイの音のことである。
ヘタに鳴らしたタンノイの音が、いぶし銀なわけではない。
Prestigeシリーズに共通するサランネットの鍵穴。
実は、この鍵穴がいぶし銀といえる音を大きく疎外している。
ステレオサウンドの試聴室で、井上先生がある指示を出された。
すぐにできることであり、すぐに元に戻せることである。
タンノイのサランネットの鍵穴に、ある細工をした。
井上先生のこの手の指示通りにやった音には、いつも驚かされる。
この時もそうだった。
誇張なしに、「たったこれだけで……」と思う。
これならば丁寧に鳴らして、ながくつきあうことでいぶし銀といえる音が出せるはず、
そう思わせる音の片鱗が鳴ってきた。
別の言い方をすれば、それだけサランネットについている鍵穴が、
ひどく音を濁していることを確認したに過ぎない。
1988年に、Canterburyが出てきた。
ひさびさのアルニコマグネットの同軸型ユニットを搭載したモデルだ。
多少気になる点はあるものの、タンノイ的装飾も受け入れやすくなった。
心が動いた、欲しいと思ったのに買うまでの決心がつかなかったのは、
鍵穴が、このスピーカーにもあったからだ。
本気で鳴らそうと思ったタンノイのスピーカーに、
穢く音を濁す鍵穴がついている。
ならばサランネットを外して聴けば……、といわれそうだが、
私にとってタンノイのスピーカーはサランネットをつけた状態で聴くものであり、
この点に関しては絶対に譲れない。
なのに鍵穴が……、なのだ。