ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(製品か商品か、を書き進める前に)
このテーマで、製品か商品かを書き進める前に書いておきたいことがある。
ここでは商品批評、製品批評とは書いているが、
商品評論、製品評論とは書いていない。
例えば試聴記。
ステレオサウンドでやる総テストにおける試聴記は、批評である。
商品批評なのか製品批評なのかを、ここでは書いていこうとしている。
オーディオ評論家による試聴記は、評論ではないのか。
私がオーディオ評論家と認めている人の書いている試聴記であっても、
それは批評である、と考えている。
だから商品批評なのか製品批評なのか、と考えている、ともいえる。
場合によっては、評論に近づいている試聴記もある。
評論と呼んでもよさそうな試聴記もある。
それでも、やはり批評だと感じている。
以前のステレオサウンドでは、総テストの特集の巻頭には、
それぞれの評論家による「テストを終えて」という試聴(テスト)後記があった。
このテスト後記は、評論でなければならない。
私が熱心に読んでいたころのステレオサウンドのテスト後記は、評論といえた。
いまはそうとはいえない。
試聴記という批評も、オーディオ評論家にとっては評論活動のひとつであっても、
それでも批評と評論がごっちゃにされることはなかった、と感じている。
もうひとつ例を挙げれば、ベストバイ・コンポーネントにおける各評論家のコメント。
決して長くはない、というよりも短い文章ではある。
私がいちばん面白かったと感じた43号のベストバイでも、試聴記よりも短い文章である。
だが、ベストバイの、それぞれのオーディオ機器についての文章は、
はっきりと評論でなければならない。
商品批評もしくは製品批評ではあってはならない。
それゆえにベストバイの文章は、書き手にとってひじょうに負担の大きいものである。
もともそういえるのは、ベストバイの文章が評論であると認識しているうえで、
そう書くようにつとめている人に限って、ではあるが。
瀬川先生はベストバイの原稿書きはしんどい、といわれていたそうだ。
そのはずだ。
評論でなければならないからだ。