Date: 10月 4th, 2016
Cate: 再生音
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続・再生音とは……(その28)

再生音らしさ、とは、いいかえればオーディオらしさ、となるのだろうか。

よく「スピーカーの存在が消える」という表現が使われる。
インターナショナルオーディオショウでも、いくつかのブースで聞いた。

「スピーカーの存在が」というが、
オーディオの存在が消えるて、そこには音楽だけがある、というのが、
オーディオの理想として語られることが、ほんとうに増えてきた。

耳につく音がスピーカーから出ていれば、
スピーカーの存在を意識してしまう。

オーディオではなく身体にあてはめてみよう。
健康なときは、特に体の部位を意識することはない。
どこかに痛みを感じたら、その部位の存在を意識する。

頭痛がすれば頭を、腰痛であれば腰を……、といったようにだ。
健康とはいえない状態であるから、存在を意識する。
痛みでなくとも不快さや疲れを感じても同じである。

身体が健康であれば、どこにも不具合がなければ、
身体の部位を意識することはない。
存在を意識しないわけで、その意味では「スピーカーの存在が消える」は、
健康状態を目指すのと同じことともいえる。

けれどいっておきたいのは、「スピーカーの存在が消える」、
「オーディオの存在が消えるの」のは、ほんとうに理想といえるのだろうか。

ここを目指すのはいいが、
ここに留まってしまうのは思考停止としか思えない。

人間の身体は、会館を感じたときにも、その存在を意識するからだ。

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