Date: 8月 22nd, 2016
Cate: マーラー
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マーラーの第九(Heart of Darkness・その3)

誰の演奏(指揮)で聴くのかは大事なことだ。
だからブルックナーも、長いと感じながらも゛何人かの指揮者の演奏を聴いた。

私がいたころのステレオサウンドのオーディオ評論家では、
長島先生がブルックナーをお好きだった。

「長くないですか」、そんなことを長島先生にぶつけたことがある。
「若いなぁ」と返された。
シューリヒトのブルックナーを教えてくださった。

もちろん買った。
あのころは国内盤LPしかなかったと記憶している。

20代前半ということもあったのか、それでも長い、と感じた。
ジュリーニのブルックナーも、もちろん聴いている。
フルトヴェングラーでも聴いているし、あと数人聴いている。
あのころとしては新譜だったシノーポリのブルックナーも聴いた。

シノーポリのブルックナーに関しては、ちょど来日していたこともあり、
サントリーホールに聴きに行った。
それでもブルックナーに感じる水増ししたような長さを、
私の中からなくすことはできなかった。

マーラーも凡庸な指揮者とオーケストラの、凡庸な演奏な演奏を聴いたら、
長い、と思うかもしれない。

以前にも書いているように、もうインバルのマーラーは聴かない。
さんざんステレオサウンドの試聴室で聴いたのが、その大きな理由である。
インバル指揮のマーラーの第四と第五は、数えきれないほど聴いた。

あのころのインバルのマーラーは、フランクフルト放送交響楽団とだった。
いま東京都交響楽団とのSACDが出ている。

オーディオ的な関心で聴いてみたい気がまったくないわけではない。
それにフランクフルト放送交響楽団との第五では、
補助マイクなしのワンポイントマイクだけの録音もCDになっているから、
そういう聴き比べという意味では、まったく関心がないとはいわない。

でもそういうことを抜きにして、聴いてみたいとは思わない。
そんなこともあってインバルのマーラーは、第一、第四と第五だけしか聴いていない。
第九は聴いていない。聴いたら、長いと感じるのか。

感じたとして、その「長い」はブルックナーの交響曲に対しての「長い」と同じなのか。
完全に同じではないにしても、何か共通するものがあるとも感じている。

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