ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その13)
ここまで書いてきて思い出すことがある。
「五味オーディオ教室」にこう書いてある。
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よくステレオ雑誌でヒアリング・テストと称して、さまざまな聴き比べをやっている。その結果、AはBより断然優秀だなどとまことしやかに書かれているが、うかつに信じてはならない。少なくとも私は、もうそういうものを参考にしようとは思わない。
あるステレオ・メーカーの音響技術所長が、私に言ったことがあった。
「われわれのつくるキカイは、畢竟は売れねばなりません。商業ベースに乗せねばならない。百貨店や、電気製品の小売店には、各社のステレオ装置が並べられている。そこで、お客さんは聴き比べをやる。そうして、よくきこえたと思える音を買う。当然な話です。でもそうすると、聴き比べたときによくきこえるような、そんな音のつくり方をする必要があるのです。
人間の耳というのは、その時々の条件にひじょうに左右されやすい。他社のキカイが鳴って、つぎにわが社の音が鳴ったときに、他社よりよい音にきこえるということ(むろんかけるレコードにもよりますが)は、かならずしも音質自体が優れているからではない場合が多いのです。ときには、レンジを狭くしたほうが音がイキイキときこえる場合があります。自社の製品を売るためには、あの騒々しい百貨店やステレオ屋さんの店頭で、しかも他社の音が鳴ったあとで、美しく感じられねばならないのです。いわば、家庭におさまるまでが勝負です。さまざまな高級品を自家に持ち込んで比較のできる五味さんのような人は、限られています。あなたはキチガイだ。キチガイ相手にショーバイはできませんよ」
要するに、聴き比べほど、即座に答が出ているようでじつは、頼りにならぬ識別法はない、ということだろう。
テストで比較できるのは、音の差なのである。和ではない。だが、和を抜きにして、私たちの耳は、音の美を享受できない。ヒアリング・テストを私が信じない理由がここにある。
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あるステレオ・メーカーの音響技術所長の
「畢竟は売れねばなりません。商業ベースに乗せねばならない」は、そうであろう。
商売であるのだから、売れて利益が出ないことには、あとが続かない。
商売であれば、できれば効率よく稼ぎたい、とも思うだろう。
だとしたら、誰を相手にすれば効率よく商売ができるのか、となると、
いうまでもなく「わかったつもり」の人相手である。
あるステレオ・メーカーの音響技術所長はだから、
五味先生のことを「あなたはキチガイだ。キチガイ相手にショーバイはできませんよ」という。
キチガイは気違い、と書く。
気が違う人である。
この意味でなら、五味先生は確かに「気違い」といえる。
五味先生は自身のことを
「私はキカイの専門家ではないし、音楽家でもない。私自身、迷える羊だ」と書かれている。
五味先生は、わかったつもりの人ではない。
だから、私にとってはわかったつもりの人と五味先生とでは、気が違う、ということになる。
五味先生はわかったつもりのところで留まっていない。
私もわかったつもりのところで留まる気は毛頭ない。
そのことで気違いと呼ばれるのならば、なんら気にしない。
むしろ誇らしく思う。