音を聴くということ(その3)
ステレオサウンドにいたころ、菅野先生から聞いた話がある。
菅野先生ご自身の話である。
ある時期、音というものがわからなくなった。
それでラジカセを買いに行かれたそうだ。
オーディオ評論家として顔も名も知られているから、デパートに行って買ってきたよ、
と笑いながら話されていた。
そのときも、さすがだな、と思っていたけれど、
いまのほうが、もっとそう思っている。
菅野先生も、いうまでもなくご自身の耳を信じられている。
それでも、信じ込まれているのではないように思っている。
信じることと信じ込むことには、微妙な違いがあり、
こと音を聴くうえでは、信じ込んでしまっては、音の罠のようなところに陥ってしまうこともある。
自分の耳は絶対だ、と信じ込める人は、
音がわからなくなった、という経験はされていないであろう。
私は自分の耳を信じている。
最終的には自分の耳で聴くしかない。
それでも信じ込まないようにはしている。
つねに自問自答が、耳には必要であり、
それを怠ったとき、知らぬ間に音の罠にどっぷりとはまってしまう。
そんな気がしている。
だからこそ、菅野先生のラジカセを話を思い出して書いた。