Date: 12月 24th, 2015
Cate: きく
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音を聴くということ(その3)

ステレオサウンドにいたころ、菅野先生から聞いた話がある。
菅野先生ご自身の話である。

ある時期、音というものがわからなくなった。
それでラジカセを買いに行かれたそうだ。

オーディオ評論家として顔も名も知られているから、デパートに行って買ってきたよ、
と笑いながら話されていた。

そのときも、さすがだな、と思っていたけれど、
いまのほうが、もっとそう思っている。

菅野先生も、いうまでもなくご自身の耳を信じられている。
それでも、信じ込まれているのではないように思っている。

信じることと信じ込むことには、微妙な違いがあり、
こと音を聴くうえでは、信じ込んでしまっては、音の罠のようなところに陥ってしまうこともある。

自分の耳は絶対だ、と信じ込める人は、
音がわからなくなった、という経験はされていないであろう。

私は自分の耳を信じている。
最終的には自分の耳で聴くしかない。
それでも信じ込まないようにはしている。

つねに自問自答が、耳には必要であり、
それを怠ったとき、知らぬ間に音の罠にどっぷりとはまってしまう。

そんな気がしている。
だからこそ、菅野先生のラジカセを話を思い出して書いた。

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