Date: 10月 31st, 2015
Cate: デザイン
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「デザインするのか、されるのか」(その1)

デザインするのか、されるのか。

かなり前からひっかかっていた。
「デザインするのか、されるのか」、どこかで読んだことがあると思われる人もいよう。
ステレオサウンド 24号掲載の、黒田先生の連載「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」のタイトルが
「デザインするのか、されるのか」だった。

黒田先生の「デザインするのか、されるのか」の本文中には、デザインはどこにも出てこない。
この「デザインするのか、されるのか」は、
黒田先生がつけられたものなのか、それとも編集者の案なのか。
黒田先生がつけられたのだとしても、なぜ「デザインするのか、されるのか」とされたのか。

ステレオサウンド 24号は1972年に出ている。
私が読んだのはこのときではなく、「聴こえるものの彼方へ」におさめられているのを読んでいる。
1978年よりあとのことだ。

このころは川崎先生の書かれたものは読んでいなかった(出ていなかった)。

「デザインするのか、されるのか」から十数年後、川崎先生の文章とであう。
毎月MacPower誌での連載を読んでいくうちに、
この「デザインするのか、されるのか」を思い出していた。

同時に、グレン・グールドのことを考えていた。
グールドはピアノを使ったデザイナーなのではないか、
そう考えるようになってきた。

KK塾第一回の濱口秀司氏の講演をきいて、
グールドはピアノを使ったデザイナーなのだ、と確信した。

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