境界線(余談・続々続々シュアーV15 TypeIIIのこと)
「続コンポーネントステレオのすすめ」で、シュアーのV15シリーズについて書かれている。
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ところでシュアーだ。表看板のV15シリーズは、タイプIVまで改良されて、改良のたびにいろいろと話題を呼ぶ。ひとつ前のタイプIIIは、日本でもかなりの愛好家が持っているし、若いファンのあこがれにもなったベストセラーだ。けれど、私はタイプIIまでのシュアーが好きで、タイプIII以後は敬遠している。まあ参考としては持っているが。
V15の最初のモデルは、いま聴き直してみても素晴らしい。とくにピアノのタッチの、鍵盤の重量感がわかるような芯の強い輝きのある音。ルービンシュタインのステレオ以後の録音にはことによく合う。そう、カートリッジのルービンシュタインと言いたいほど、V15は好きだ。
タイプIIになって、もっとサラッとくせのない音になった。ちょうどオルトフォンがSPUからMCに変った印象に似ている。その意味ではタイプIIでない最初の音のほうが、個性的だが魅力もあった。けれどタイプIIは、トレースの安定性とバランスの良い格調高い音質が、当時はズバ抜けた存在で、最も安心して常用できるカートリッジひとつだった。
タイプII以前のシュアーが、最高の性能と音の品位を追求していたのに対して、タイプIII以後のシュアーの音は、逆に大衆路線に変更された。そこが、私のシュアー離れの大きな原因だ。これは私の想像だが、タイプIIIは、その時点でのコンポーネントステレオ・パーツの、ごく一般的な水準にぴたりとピントを合わせて計画されたにちがいないと思う。実際、たいていのコンポーネントステレオにV15/IIIをとりつけると、とたんに解像力の良い、格段に優れた音を聴かせる。一般評価が高まったのもとうぜんだ。
だがおもしろいことがわかってくる。タイプIIIは、再生装置のグレイドがある水準を越えて上ってくるにつれて、次第に平凡な音に聴こえてくる。再生装置が極めて品位の高い音質に仕上がってくると、もはやタイプIIIの音の品のなさはどうしようもなくなってくる。
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V15 TypeIII以降はTypeVまでじっくり聴いている。
TypeIIと最初のオリジナルモデルは聴いていない。
瀬川先生の、この文章を読むと、最初のV15を無性に聴いてみたくなる。
「カートリッジのルービンシュタイン」、これだけでそう思えてくる。
そして、これだけでV15の音が想像できる。
V15でルービンシュタインのレコードを鳴らしてみたくなる。
この文章を読んでわかるのは、
シュアーのV15の歴史の中にも境界線があったことがわかる。