Date: 12月 17th, 2010
Cate: 言葉
Tags:

造詣

今月9日に上杉先生が亡くなられていることが、ニュースになっていた。
兵庫にお住まいだったから、他の評論家の方ほどお会いする機会はなかった。

それでもいくつかの想い出はある。それを書くこともできるが、
それよりも書いて置きたいことは上杉先生の不在により、
ステレオサウンドの筆者から真空管に造詣の深い人がいなくなってしまったということ。

以前は長島先生の存在もあった。長島先生と上杉先生、おふたりとも真空管への造詣は深かった。
おふたりの違いは、造詣の深さの違いではなく、もうすこしべつのところにあった。

いまはインターネットに接続できれば、手軽に真空管に関する情報は厖大な量を手にすることができる。
以前はネットに接続するにはパソコンからだったけど、
いまやiPadやiPhoneからでも、外出先からでも簡単に高速に接続できる。
もしかすると、真空管に関しても、長島、上杉先生よりもくわしい人、それも若いひとがいてもふしぎではない。

そういう時代をインターネットは可能にしている。

だがそういう人が、真空管に関して、造詣が深い、かとなると必ずしもそうではない。
造詣の深さには、もちろんある量の知識は必要である。だが知識の量だけでは、造詣は得られない。

こういう時代だからこそ「造詣」とはなにかを、もういちどはっきり見直しておきたい。
そして真空管に関してだけではない。
私個人としては、アナログディスク再生に造詣の深い人が、
いまのステレオサウンドの筆者のなかには、いない……、そう感じている。

真空管、アナログディスク──、これらのことはオーディオにつながる、ある項目である。
その項目に関して造詣の深い人の不在。これが意味することはなんであるのか。

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