オーディオの「本」(瀬川冬樹氏のこと)
はっきりと書いているわけではないが、私のTwitterもあわせて読んでいただいている方は、お気づきのように、
いま瀬川先生に関するオーディオの「本」の作業にかかりっきりになっている。
電子書籍として、まず11月7日に、そして来年の1月10日に出す予定で、いまやっている。
おそらく3月ごろまで最終的にかかるだろう。
最初は11月7日までにすべてまとめあげたいと考えていたが、やりはじめると、
せっかくやるのだから、あれもこれもとやりたいこと、おさめたいことが増えていき、
ページ数に制限のない電子書籍だから、すべてやろうと変更したため、11月7日には、
ともかくいま出せるところをダウンロードできるようにする。
とにかくいまは、瀬川先生の文章を集め入力している。
ステレオサウンドから出ていた「世界のオーディオ」シリーズのラックス号に載っていた「私のラックス観」、
これをさきほど入力し了えた。
ステレオサウンドにいた頃、ふるい号を読もうと思えばいくらでも読めた。もちろん仕事の合間にずいぶん読んだ。
でもそれは読んだつもりだった、としか、いまはいえない。
瀬川先生の「私のラックス観」を、なぜか読んでいなかったからだ。
「世界のオーディオ」シリーズは、
Vol. 1・ラックス、Vol. 2・マッキントッシュ、Vol. 3・サンスイ、Vol. 4・アルテック、Vol. 5・ビクター、
Vol. 6・パイオニア、Vol. 7・テクニクス、Vol. 8・ソニー、Vol. 9・オンキョー、Vol. 10・タンノイ、が出ている。
読んでいたのは、マッキントッシュ、アルテック、タンノイだけだった。
そのあとずいぶん経ってからサンスイとパイオニアを読んだだけだった。
手もとにある本とコピーをあわせると、ビクター以外はすべて読んだ。
そのどれとも、「ラックス観」はちがい、なにかちがうものが現れている。
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このメーカーは、ときとしてまるで受精直後の卵子のように固く身を閉ざして、外からの声を拒絶する姿勢を見せることがある。その姿勢は純粋であると同時に純粋培養菌のようなもろさを持ち、しかも反面のひとりよがりなところをも併せ持つのではなかろうか。
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これは、ラックスについてのことだけを語られているのではない。
「瀬川冬樹」についても語られている。
この数行前に、こうある。
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このメーカーの根底に流れる体質の中にどこか自分と共通の何か、があるような、一種の親密感があったためではないかという気がする。
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説明は要らないはずだ。
REPLY))
そうですか、瀬川さんの本を出されるのですか、興味津々楽しみですね。きっと多くの人達が、そこに自分の人生を重ね合わせ感慨にふけり、自分とは何なのかを再発見され喜ばれることと想像します。
今度の日曜日、クライマックスDSを導入した友人宅のKEF5/1A BBCモニターを聴きに行く予定です。サブスピーカーもしくは倉庫に大切にではあっても保管されるだけの状態が長く続いたのですが、8月からは久々にメインスピーカーとして本気に聴かれていること、しかも生粋のクラシック、ベートーヴェン、オペラ数寄に愛聴されていること、そこに関わるひとりとしてとてもうれしく感じています。
今回の出版により、宮崎さんの経験と該博な知識、誰にも負けない情熱が熟成ブレンドされ、最高のインテリジェンス、いやそれ以上のインテレクトをもたらすものと期待します。
でも季節の変わり目です、月並みかもしれませんが、何卒ご自愛されますよう祈っております。