オーディオマニアとして(その11)
高城重躬氏の録音も、その音も聴いたことがない。
高城氏の自宅録音の音がどのレベルにあるのかは、だから何もいえない。
ただ高城氏が書かれていることを信じれば、かなりのレベルにあった、ということになる。
納得できないわけではない。
その理由は、録音と再生が完全に同一空間であることが、まずあげられる。
次に録音の対象物であるスタインウェイのピアノも、また同一空間にあるからだ。
高城氏にとっての原音再生とは、市販のプログラムソースを再生してのものではなく、
あくまでも自身のリスニングルームにおいて録音し再生するという条件での原音再生だと、私は受けとめている。
市販のプログラムソースが、どういう環境で再生されるのかは、実に多彩だ。
再生システムもみな異るし、再生空間の広さも、どんなに広い空間であって、まずホールよりも小さい。
録音スタジオ(といっても大小さまざまだが)の広さなら、
ほぼ同じ大きさの空間を確保できる人はいよう。
そういう空間でも、再生する音量はまた人によって違う。
ナマの楽器のリアリティを感じるほどの音量を求める人もいれば、
それだけの音量が出せる環境にいても、小音量も好む人もいる。
こんなことをひとつひとつ書いていけばきりがないほどに、再生の環境は違いすぎる。
だが高城氏の録音は、再生空間が同一空間であり、
おそらく再生音量もスタインウェイのピアノと同じになるようにされているとみていいはず。
しかも、そこにはスタインウェイのピアノが、再生の時にも置かれている。
高城氏の原音再生が、再生時にはスタインウェイのピアノがリスニングルームの外に出されるのであれば、
実際に高城氏のリスニングルームで鳴っていた音との違いは生じる。
リスニングルームに楽器があれば、良くも悪くも、その楽器の音・響きが再生音に影響を与える。