ショルティの「指環」(その11)
これといった理由もなくショルティを毛嫌いしていた20代のとき、
それでもシカゴ交響楽団との2度目の録音となるマーラーの交響曲第二番を聴いたときは、すなおに驚いた。
第一楽章の、あの冒頭での低弦の凄さには、驚くしかなかった。
ショルティの1度目の録音は、1966年、ロンドン交響楽団によるもので、じつはこのLP(それもオリジナル盤)は、
やはり低弦による出だしは、すごかった、ときいている。
これについては岡先生の著書「マイクログルーヴからデジタルへ」の下巻でふれられているので、引用しておく。
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このレコードの開始部の凄まじい低弦の表現力というもは、おそらくどんなコンサートでも聴かれない強烈な効果で聴き手を圧倒する(筆者がこの曲をコンサートで聴いたのは、小沢征爾が日フィルを振った一回しかないが、コンサートでは、ベルリンPOやシカゴSOであろうと、ショルティのレコードのようには鳴らないだろうと思っている)。明らかに低弦にブースト・マイクが置かれており、しかもハイレベルでカッティングされている。このレコードが出た当時のデッカのカッティング・ヘッドはノイマンのSX45であったはずだが、明らかに低域の低次ひずみが存在しており、それがかえって低弦の表現に強烈なダイナミックな効果を添えていたと思う。のちにSX68でリカットされたこの部分は、明らかに低次ひずみが減って音はおとなしくなり、コンサートで聴かれるチェロとコントラバスのユニゾンのフォルテらしい音になっていたけれど、凄まじいまでの迫力は失われていた。
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’66年録音のオリジナル盤とリカット盤を聴きくらべる機会はなかったけれど、
1980年の2度目の録音を聴くと、ある程度は想像できるともいえる。
岡先生はオリジナル盤の「効果」は、
「カッティング・システムの性能を意図した計算づくのもの」と考えられていた。
そしてショルティ2度目の「復活」を聴いて、「多分間違っていなかった」と思われた、とも続けられている。
いますこし岡先生の文章を引用する。
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十四年間の録音系の進歩は、レコードの音質の改善に明らかであるが、ショルティは《復活》の冒頭の低弦を、前回よりもさらに強烈に表現する。低弦に対するマイクは旧録音よりさらに近づけられ、低弦楽器の低次倍音までなまなましくとらえる。
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ショルティの2度の「復活」の録音は、パッケージメディアについて考えるにあたり、最適な例のひとつといいたい。