ハイ・フィデリティ再考(その21)
高城重躬氏は、はっきり「原音再生」を目指されていることを、
それもかなり以前から目指してきた、ということをどこかに書かれていたと記憶している。
「音の遍歴」のなかだったかもしれないし、そのあとに出た著書「レコード音楽論」(どちらも共同通信社刊)か、
どちらかもしくは両方に、そう書いてあったことは確かだ。
手もとに高城氏の書かれたものはまったくないから正確な引用ではないことはお断りしておくが、
高城氏にとっての「原音再生」は市販されているレコードから、ではないということ、
あくまでも自分で録音したものをプログラムソースとして使っての「原音再生」であること、
このことを強調されていたように記憶している。
そのための自宅でのピアノの録音でもあったわけだろう。
ピアノとスピーカーが同じ空間にあり、その場で録音してその場で再生し、そこで比較すること。
そしてふたつの音の差がほとんど聴き分けられなくなるようにしていくことは
「原音再生」への正しいアプローチである、とほんとうにいえるだろうか。
一見正しいように思える、このアプローチには陥し穴がないのだろうか。