ハイ・フィデリティ再考(その4)
五味先生は、「ナマ追求は邪道にすぎない」とされ、
次のように書かれている。
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レコードによる音楽鑑賞は、録音再生技術に驚異的進歩を見た今日でも、なお、ナマとは別個な、独自なジャンル──芸術鑑賞の一分野である。そこで大事なのはナマそのものではなくて、再生される美しさである。この「再生される美しさ」という点が、日本の業者にまだわかっていないようだ。業者に限らない。多くの録音プロデューサー、近ごろ群出しているオーディオ批評家、音響専門技術者のほとんどが、再生される音の美しさはどんなものかを知らずにただ、ナマを追求している。むろん大方のオーディオ・マニアも。戒心すべきことである。
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また、こうも書かれている。
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オーディオでナマを深追いしてはならない。それはけっして美しい音ではない。美しい音は、聴覚が持っている。機械が出すのではないのである。
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「五味オーディオ教室」から引用したいところは、まだまだある。
きりがないのでこのへんにしておくけれど、「五味オーディオ教室」を読めば読むほど、
当時はハイ・ファイ(つまり原音再生)への疑問をもちはじめていた。
五味先生は「ナマ」イコール「原音」とかならずしもされているわけではないが、
少なくとも、安易な原音再生(ハイ・ファイ)の追求は、美しい音をとり逃がすことになる、
そういうふうに中学2年だった私は受けとめていた。
だから、High Reality であるべき、と考えたわけだ。