Archive for 7月, 2017

Date: 7月 1st, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

つくもがみ

つくもがみ(付喪神、九十九神)。
長い年月(百年ほど)を経たモノに、神もしくは精霊が宿る、という。

プリミティヴなモノであれば、百年の歳月を経ることもできようが、
オーディオ機器ともなると、アンプもCDプレーヤーなどのデジタル機器はまず無理である。

プリミティヴといえばスピーカーだが、
百年もつかといえば、これもあやしい。

スピーカーよりもプリミティヴなモノとして、
アクースティック蓄音器がある。

ビクターのクレデンザは1925年に登場している。
HMVの#202、#203も、あと十年ほどで百年を迎える。

神が宿るのか。
と思いつつも、付喪神という漢字表記は、
付喪・神と多くの人は見るだろうが、私には付・喪神と映る。

ここにも「喪神」がある。

Date: 7月 1st, 2017
Cate: オーディオ評論

評論家は何も生み出さないのか(その3)

オーディオ評論と呼ばれる仕事もしていた知人は、なぜ小説を書き始めたのか。
芥川賞が欲しいから、書き始めたのかもしれない、
書くことが好きだったから、自然と書き始めたのかもしれない、
そのへんのはっきりとしたことは私にはわからないが、
おそらく当人もよくわかっていないのではないか。

作家(小説家、画家、彫刻家、作曲家などをふくめて)は、
なぜ何かをつくるのか──、といえば、
表現したいものがあるからだろう、という答が返ってきそうだ。

表現したいもの、ということでは、
オーディオ評論家も、少なくとも私が先生と呼ぶオーディオ評論家の人たちは、
音というかたちがなく抽象的で、すぐに消滅してしまう物理現象を表現しよう、としていた。

音は言葉や絵や写真などで直接伝えることはできない。
測定結果も、どんなに多項目にわたって測定をしたとしても、まったく伝えられない。

言葉(文章)で伝えるしかない。
この行為は手を抜こうと思えば、どれだけでも手を抜ける。
文章のテクニックがあれば、体裁は整えられる。

でも、そこからは何も伝わってこない。
よく、ある特定ディスクの、この部分がこんなふうに鳴った、
別のディスクの、この部分はこう鳴った、
そんなふうにことこまかに書く人がいる。

そんな試聴記をわかりやすい、親切だ、具体的だと思っている読み手もいる。
この手の試聴記は、実は何も伝えていない。
それだけでは、なにひとつ伝えていない。