Archive for 11月, 2011

Date: 11月 3rd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その1)

インターナショナルオーディオショウには約180のブランドが集まっているそうで、
それらすべて聴くことは時間的に無理があるし、気に入った音が鳴っているとついそのブースに留まってしまうと、
聴き逃してしまうモノのほうが多いかもしれない。

そういうなかで今年最も印象に残ったのは、ドイツのADAMのスピーカーシステムだった。
輸入元の太陽インターナショナル(元・大場商事)のブースの扉をあけたときに耳にはいってきた音が、
印象に残った。
素直に、いい、と思える鳴り方をしている。
何が鳴っているのかとスピーカーシステムの方をみると、初めてみるトールボーイの、
わりと素っ気ない外観の、しかもそれほど高価ではないだろうと思われるモノが立っていた。

私が聴いたのは、3機種ある中のトップ機種のColumn Mk3
価格はペアで税込み1,008,000円。

Column Mk3よりずっと高価なスピーカーシステムはいくつもある。
優秀なスピーカーシステムも、やはりいくつかある。
でも、Column Mk3は、素直に、いいスピーカーシステムと呼べる素性がある、と思う。

太陽インターナショナルのブースの扉をあけたとき耳にはいってきたのは、トランペットの音だった。
聴いた瞬間に、マイルス・デイヴィスだと、マイルス・デイヴィスの熱心な聴き手でない私の耳でも、
はっきりとわかる音を響かせていた。
しかもかけられていたディスクは、私は持っていないマイルス・デイヴィスのディスクだった。
にも関わらず、マイルス・デイヴィスのトランペットだ、と瞬間的に感じさせてくれる表現力をColumn Mk3は、
確実に持っている。

よく聴いている演奏家のディスクが鳴っていても、
いったい誰の演奏なのだろうか……と考え込ませるような音が鳴っていることも意外と多い。
この理由については、あえてここではふれないが、
そういう音があるなかで、ADAMのColumn Mk3は、確実に音楽を捉え鳴らしてくれている。
Column Mk3よりも優秀なスピーカーシステムは、たしかにある。
けれど、音楽を信頼できる音で鳴らしてくれるColumn Mk3より、
いいスピーカーシステムとなると、意外とすくないのが現状かもしれない。

Date: 11月 2nd, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その15・続×五 余談)

低音は土台であり基本である。
そして「型」だとも思う。

型(かた)は、武道や芸道、スポーツなどで規範とされる一定の体勢や動作であり、
これを身につけることから、武道、芸道、スポーツははじまる。

型を身につけるための精進を怠れば、結果はみえている。
武道の達人による型と、素人が見様見真似でそっくりにまねた型とでは、
それにだまされる人もいるかもしれないが、見る人がみれば歴然とした違いがあり、
見様見真似の型はすぐに見破られることになる。

構えという型であっても、つまり静止している型であっても、それほど違う。
そこに動作が加わった型であれば、違いはさらに歴然となり、大きく隔たったものになってくる。

武道で型を身につけずに技を身につけることは無理なはず。

オーディオにおける低音は、この「型」でもある。

型の完成というのがあるのかどうかは私にはわからない。
けれど必要なレベルの型を身につけなければ(これが基礎)、
そこから先は存在しないことと同じではないだろうか。

型を身につけ技を身につけ、型をさらに磨いていく。
型をこえていくためには型を身につけなければならない。

結局、型に始まり型に終る、ということなのだろうか。
そうだとしたら、低音に始まり低音に終る、ということになる。

Date: 11月 1st, 2011
Cate: 中点

中点(消失点・その1)

2チャンネルのステレオは、モノーラル再生を水平(左右)方向に拡大している。
その2チャンネルのステレオがうまく鳴ったときに、われわれは奥行き感といったものも感じられる。

けれど2チャンネルのステレオは、あくまでも水平方向への拡大であるから、
完全な立体音源とはいえない。

完全な立体音源であるための理屈では、水平方向も左右だけでなく前後への拡大が最低でも必要となり、
さらには垂直方向への拡大も求められる。
にも関わらず、左右のスピーカーシステムの中央に歌手が定位すれば、
その歌手のボディの厚みさえ感じられることすらある。

これは考えれば不思議なことでもある。
なぜそう聴こえるのか、感じるのか。
もっといえばそう感じられる録音もあれば、そう感じられない録音もあるし、
そう感じられる録音のディスクをかけたとしても、そう感じられる音もあれば、そう感じられない音がある。

この違いは、なぜ起るのか。
なにに関係していることなのだろうか。

左右のスピーカーシステムあいだに架空の透明のキャンバス(もしくはスクリーン)が存在しているとすれば、
それは消失点(vanishing point)の有無なのだろうか……。
そんなことを考えている。