Archive for 4月, 2009

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・続々825Ω)

プレーヤーのキャビネットの上に、指で弾くと、ガチャガチャと安っぽい雑共振の音がするもの、
たとえばカセットテープのケースやCDのプラスチックケースなどを置いてみる。
きちんと調整がなされているアナログプレーヤーであれば、
置いた途端に、音の品位が損なわれるのが、はっきりとわかる。

プレーヤーのキャビネット、ベース上に、便利だからといって、針先のクリーナーや針圧計、
その他、アクセサリー類を置きっぱなしにしているのであれば、まずそれを片付けてみる。
つまり別のところに移動する。
これだけで、すっきりと、細部まで、ローレベルまで、見通しのいい音になる。

トーンアームは共振物である。

すこし以前のものだが、ラックスのPD444、トーレスンのTD226やリファレンスなどは、
トーンアームを複数取りつけが可能だ。
これらのプレーヤーで試してみると、トーンアームが1本余分についていることが、
どれだけ音を濁しているのか、はっきりとわかる。

気にいっているカートリッジを、すこしでもよい状態で鳴らすために、
専用のトーンアームを、それぞれに用意したことが、結果として影響を与えてしまう。

それでもトーンアームを2本使いたいとき、つまりカートリッジを交換しながらも、
できるかぎり調整して追い込んだ音で聴きたいときには、どうすればいいのか。

プレーヤーを2台用意できれば、それに越したことはないが、
そう簡単にできることでもない。

あとはオーディオクラフトのAC3000 (4000) MCのように、アームパイプが複数用意され、
カートリッジのコンプライアンスによって交換できるモノを使う手もある。
これでも交換のたびに調整の手間は必要となる。
もうひとつ、トーンアーム1本の時の音を聴かないことだ。

一度でも聴いてしまうと、耳が憶えてしまい、求めてしまう。
だから、あえて聴かない。
聴かないことも、時には、重要となることがある。

Date: 4月 6th, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その45)

4350は「この下手をすると手ひどい音を出すジャジャ馬」であり、
「いいかげんなアンプで鳴らしたのでは、とうていその真価を発揮しない。
250Hzを境にして、それ以下の低音は、ともすれば量感ばかりオーバーで、ダブダブの締りのない音になりがちだ。
また中〜高音域は、えてしてキンキンと不自然に金属的なやかましい音がする」スピーカーであると、
瀬川先生は書かれている。

けれどマークレビンソンのML2Lのブリッジ接続で鳴らす4350の低音は、一変する。

「低域の締りの良いことはちょっと例えようのない素晴らしさだ。
ブリッジ接続による十分に余裕ある大出力と、
4350をふつうに鳴らした低音を聴き馴れた人にはウソのように思えるおそろしく引き締った、
しかし実体感の豊かなというより、もはやナマの楽器の実体感を越えさえする、
緻密で質の高い低音は、これ以外のアンプではちょっと考えられない。」

このころ、ステレオサウンドの記事でも、4343を、ほぼ同じ構成で鳴らされている。
場所は、瀬川先生の、新居のリスニングルーム。

スピーカーが4350から、瀬川先生が愛用されていた4343に変わった以外は、
チャンネルデバイダーのLNC2Lが、JC1ACと同じく、2台用意して、
片チャンネルを遊ばせてのモノーラルでの使用である。

プレーヤーもマイクロの糸ドライブと同じだが、記憶では、ステレオサウンドの記事では、
トリオから発売されていた、セラミック製のターンテーブルシートを併用されていたはずだ。

4350、4343をML2L、6台で鳴らされた経験のあとに、ベストバイ特集のステレオサウンド 55号が出ている。
瀬川先生は、パワーアンプのマイベスト3に、ML2Lを選ばれていない。

Date: 4月 5th, 2009
Cate: 井上卓也, 瀬川冬樹

井上卓也氏のこと(その20・補足)

情報量という言葉を、はやい時期から使われていたのは井上先生だと、3週間ほど前に書いているが、
瀬川先生も、ほぼ同じころに、「情報量」を使われている。

ステレオサウンド 39号に掲載された「ふりかえってみるとぼくは輸入盤ばかり買ってきた」で、使われている。
     ※
直径30センチの黒いビニールの円盤に、想像以上に多くの情報量が刻み込まれていることは、再生機の性能が向上するにつれて次第に明らかになる。
     ※
情報量を、オーディオで使いはじめた人は、いったい、誰なのだろうか。いつから使われているのだろうか。

タンノイの代名詞となっている「いぶし銀」という表現も、誰が使いはじめたのだろうか。
五味先生の「西方の音」を読んでいると、「トランジスター・アンプ」の章に、いぶし銀そのものの表現ではないが、
ほぼ同じ意味合いの言葉が出てくる。
     ※
アコースティックにせよ、ハーマン・カードンにせよ、マランツも同様、アメリカの製品だ。刺激的に鳴りすぎる。極言すれば、音楽ではなく音のレンジが鳴っている。それが私にあきたらなかった。英国のはそうではなく音楽がきこえる。音を銀でいぶしたような「教養のある音」とむかしは形容していたが、繊細で、ピアニッシモの時にも楽器の輪郭が一つ一つ鮮明で、フォルテになれば決してどぎつくない、全合奏音がつよく、しかもふうわり無限の空間に広がる……そんな鳴り方をしてきた。わが家ではそうだ。かいつまんでそれを、音のかたちがいいと私はいい、アコースティックにあきたらなかった。トランジスターへの不信よりは、アメリカ好みへの不信のせいかも知れない。
     ※
音を銀でいぶしたような、という表現で、しかも、むかしは形容していた、とも書かれている。
五味先生のまわりでは、かなり以前から、英国の「教養ある音」のことを表す言葉として使われていたことになる。

となると五味先生の著書に登場される新潮社のS氏(齋藤十一氏)かもしれない。

いずれにしろ「英国の教養ある音」に使われていた形容詞が、
いつしかタンノイの代名詞へとなっていったわけだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・続825Ω)

当時、オーディオクラフト、サエクからは、
MM型カートリッジ用は低容量のシールド線、MC型カートリッジ用は低抵抗のシールド線という具合に、
トーンアームの出力ケーブルがそれぞれ用意されていた。

シールド線の構造上、低抵抗を実現するために芯線を太くすると、シールド線との間隔が狭まり、
結果として線間容量は増す。
線間容量を減らすには、芯線とシールド線との間隔を広げることで、こんどは芯線が細くなり、抵抗値が増す。

もちろん芯線を太くして低抵抗を実現しながら、シールド線との間隔を広げれば、低容量も両立できる。
ただし線径はかなり太くなってしまい、ケーブルの取り回しが面倒になる。
それにコネクター部の処理もたいへんなことになる。
それからフローティングプレーヤーを使用していると、フローティング機能そのものの妨げにもなる。

ケーブルの太さにも限度がある以上、低抵抗と低容量を実現するのは、なかなか難しい。
このことは、つまり一本のトーンアームで、
カートリッジをMC型、MM型と頻繁に交換するうえでの問題点とも言える。

どんなに針圧、トーンアームの高さやその他の調整を、カートリッジ交換のたびにまめに調整したとしても、
トーンアームの出力ケーブルが、どちらかのタイプがついたままならば、
すべての苦労が無駄になる、とは言わないまでも、詰めの甘さが残ることとなる。

もっともカートリッジのコンプライアンスを考慮すると、
トーンアームの実効質量とのマッチングも必要となるため、
事実上は、一本のトーンアームでMC型、MM型のカートリッジを混用するのは避けるべきだ。

となると1台のプレーヤーに2本以上のトーンアームを取りつけて、
それぞれMC型、MM型用にするという手も、もちろんあるけれど、これはこれで別の問題が生じてくる。

Mark Levinsonというブランドの特異性(余談・825Ω)

「825Ωの復活か」──
エレクトリのサイトで公開されている
パス・ラボラトリーのフォノ・イコライザーアンプXP15の入力端子の拡大写真を見ていて、そんなことを思った。

1970年代、プログラムソースといえばアナログディスク(LP)だった時代、
コントロールアンプだけでなくプリメインアンプにも、フォノ入力の負荷抵抗を切替え機能が装備されていた。
MM型カートリッジの、メーカー推奨負荷抵抗値は、47kか50kΩ。
アンプ側も、標準の入力抵抗は47kか50kΩだが、この他に68k、75k、100kΩのポジションも用意されていた。
たいていは値が大きくなるだけだが、一部、25k、10kΩのポジションを持つアンプもあった。

標準の50k(47k)Ωよりも負荷抵抗値を上げていくと、カートリッジの高域特性のピークがより持ち上がる。
負荷抵抗を下げていくと、なだらかに高域が減衰していく。

また負荷容量を変えていくと、やはり高域特性に変化が見られる。
負荷抵抗を50kΩに固定して、負荷容量を増やしていくと、やはり高域のピークが大きくなるとともに、
ピークの中心周波数がわずかに低くなる。

トーンコントロール的な変化に近いが、たとえ同じような周波数特性になったとしても、
トーンコントロールで高域を上昇させた音と、
負荷抵抗を標準値よりも高くした音は、表面的な効果は似ていても、
カートリッジのピークは振動系のものだけに、音楽の細かな表情は,ずいぶんと違いが生じる。

だから負荷抵抗をあげて負荷容量も増すという使い方もあれば、
負荷抵抗だけを下げて、ということも試しながら、トーンコントロールとも併用してみる。
70年代のアンプでは、そういう使い方ができた。

さらに負荷容量に関しては、トーンアームの出力ケーブルがもつ線間容量も、負荷容量にプラスされる。
この部分のケーブルが長くなると、それだけ負荷容量は増していく。
1mのケーブルと2mのケーブルでは、同じ品種ならば、後者の線間容量は2倍の値になる。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その44)

まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その43)

瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、
最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。
だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(その11)

わかりやすさが第一、だと──、そういう文章を、昨今の、オーディオ関係の編集者は求めているのだろうか。

最新の事柄に目や耳を常に向け、得られた情報を整理して、一読して何が書いてあるのか、
ぱっとわかる文章を書くことを、オーディオ関係の書き手には求められているのだろうか。

一読しただけで、くり返し読む必要性のない、そんな「わかりやすい」文章を、
オーディオに関心を寄せている読み手は求めているのだろうか。

わかりやすさは、必ずしも善ではない。
ひとつの文章をくり返し読ませ、考えさせる力は、必要である。

わかりやすさは、無難さへと転びがちである。
転がってしまった文章は、物足りなく、個性の発揮が感じられない。

わかりやすさは、安易な結論(めいたもの)とくっつきたがる。
問いかけのない文章に、答えは存在しない。求めようともしない。

Date: 4月 2nd, 2009
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(その7)

パラメトリックイコライザーやトーンコントロール、
QUADのティルトコントロールやラックスのリニアイコライザーなどの単独使用はあっても、
グラフィックイコライザーは、必ず上記のイコライザーと併用するものだと、
私は、グラフィックイコライザーの原理・仕組み・特性からいって、そう捉えている。

つまりグラフィックイコライザーは、周波数特性をいじるものではない。
周波数特性をいじるのであれば、パラメトリックイコライザーなりトーンコントロールを使えばいい。

グラフィックイコライザーにスライド式ボリュームがいつから採用され、
現在のスタイルになったのかは不明だが、
この、一見、周波数特性を連想させるアピアランスが、
グラフィックイコライザーの本質を隠してしまったように思えてならない。

まだ回転式ポテンショメーターを採用したほうが、いい。
グラフィックイコライザーは、そのデザインが見直されるべきモノである。

Date: 4月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その42)

スイングジャーナルの試聴室にて、鳴り響いた音を、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう……劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
     ※
この日、鳴らされたレコードは、記事には、2枚だけ表記してある。

「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52)

試聴が終ったのが深夜1時ごろだったと、Kさんから聞いている。
だから、最初にかけられたチェンバロのレコード、それに上記のレコード以外にも、
かなりの枚数のレコードをかけられたはすだ。

そのなかの1枚がアース・ウィンド&ファイヤーの「太陽神」である。
瀬川先生が、Kさんに「最近、どんなレコードを聴いているんだ?」とたずねられたとき、
彼が取り出してきたのが「太陽神」であり、かなり気にいられた、とのことだ。

「太陽神」のエピソードは、ステレオサウンドに書かれている。
世田谷・砧の新居のリスニングルームで、
4343をマイケルソン&オースチンのモノーラルのパワーアンプM200を鳴らされたときのことだ。

ステレオサウンドの52号のセパレートアンプの特集号の巻頭エッセーをお読みいただきたいが、
あるオーディオ関係者が瀬川先生のお宅を訪ねられたとき、
ちょうど「太陽神」をものすごい音量で鳴られていたときで、
遮音には十分な配慮が施されたリスニングルームにも関わらず、外までかなり大きい音が洩れていた、
そして、その人はなんど玄関の呼出しのベルを鳴らしても、瀬川先生が気づいてくれなくて、
「太陽神」が鳴り終るまで、玄関で待っておられた、こんなことを書かれていた。

M200はEL34を8本使用した、かなり大規模な構成で、
出力は型番が示すように200W(Aクラス動作にすることも可能で、その時は60W)。

このとき瀬川先生のリスニングルームで鳴っていた音も、「劇的なひとつの体験」だったのだろう。