Archive for category 真空管アンプ

Date: 10月 27th, 2008
Cate: 伊藤喜多男, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その4)

私がオーディオに興味をもったころ、
すでにマランツもマッキントッシュも真空管アンプの製造をやめていた。QUADもそうだ。
五味先生の著書に登場するアンプは、どれも現行製品では手に入らない。

自作という手もあるな、と中学生の私は思いはじめていた。
「初歩のラジオ」や「無線と実験」、「電波科学」も、ステレオサウンドと併読していた。
私が住んでいた田舎でも、大きい書店に行けば、真空管アンプの自作の本が並んでいた。
それらを読みながら、真空管の名前を憶え、なんとなく回路図を眺めていた時期、
衝撃的だったのが、無線と実験に載っていた伊藤喜多男氏の名前とシーメンスEdのプッシュプルアンプの写真だった。

伊藤先生の名前は、ステレオサウンドに「真贋物語」を書かれていたので知っていた。
その内容から、オーディオの大先輩だということはわかっていた。

それまで無線と実験誌で見てきた真空管アンプで、
「これだ、これをそのまま作ろう」と思えたものはひとつもなかった。

それぞれの記事は勉強にはなったが、どれもアンプとして見た時にカッコよくない。
そんな印象が強まりつつあるときに読んだ、伊藤先生の製作記事は文字通り別格だった。

Date: 10月 26th, 2008
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その3)

前にも書いているが、LX38はスペンドールのBCIIとの組合せで聴いた。

五味先生が書かれている、倍音の美しさに関しては、販売店でのイベントということもあって、
実を言うとそれほど感じられなかったが、音の湿りけには魅了された。

音の湿度感は、私にとってけっこう重要というか、乾き切った音は生理的に苦手なところがある。
例えが古いが、エンパイアの4000D/III(カートリッジ》は世評も高いし、
他のカートリッジでは聴けない、見事な乾きっぷりは、ドラムの音や打楽器の爽快感を体感させてくれ、
その魅力は理解できるし、そのためだけにお金が余裕があったら欲しい、と思っても、
4000D/IIIで、私が聴きたい音楽のすべてを聴きたいとは思わない。

断っておきたいのが、音の湿度感の感じ方、捉えかたは、
人によってずいぶん違うことを経験している。
私は4000D/IIIの質感を乾いている、乾き切っていると感じるが、
そんなことはいちども感じたことがはない、という人もいる。
反応の鈍い音を、湿りけをおびた音とネガティヴな意味で使う人もいる。

人の声を聴いた時の、口やのどの湿り、弦楽器の陰の部分の、ほのかな暗さ、
そういうものを無視したかのような音が、私にとっての乾いた音である。

Date: 10月 26th, 2008
Cate: 五味康祐, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その2)

分解能や、音の細部の鮮明度ではあきらかに520がまさるにしても、音が無機物のようにきこえ、こう言っていいなら倍音が人工的である。したがって、倍音の美しさや余韻というものがSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ男だから、石のアンプは結局は、使いものにならないのを痛感したわけだ。これにはむろん、拙宅のスピーカー・エンクロージァが石には不向きなことも原因していよう(私は私の佳とするスピーカーを、つねにより良く鳴らすことしか念頭にない人間だ)。ブックシェルフ・タイプは、きわめて能率のわるいものだから、しばしばアンプに大出力を要し、大きな出力Wを得るにはトランジスターが適しているのも否定はしない。しかしブックシェルフ・タイプのスピーカーで”アルテックA7”や”ヴァイタボックス”にまさる音の鳴ったためしを私は知らない。どんな大出力のアンプを使った場合でもである。
     *
五味先生の、「オーディオ愛好家の五条件」のひとつ「真空管を愛すること」からの引用である。

これを書かれたのは1974年。
マークレビンソンのLNP2の輸入をRFエンタープライゼスがはじめたころで、
LNP2の登場以降、著しく進歩するトランジスターアンプ前夜の話とはいえ、
真空管アンプでなければ出ない音が確実にある、ということはしっかりと、
当時中学生の私の心には刻まれていった。

私が、この文章を読んだのは76年。LNP2だけでなく、SAEのMark 2500、スチューダーのA68、
スレッショルドの800A、AGIの511などが登場しており、
明らかに新しいトランジスターアンプの音を実現していたように、
ステレオサウンドを読んでも、感じられた。

76年は、ラックスからCL32が登場している。薄型のシャーシを採用することで、
ことさら真空管かトランジスターかを意識させないよう、
そういうコンセプトでつくられていたのかもしれないが、
76年ごろ、現行製品の真空管アンプの数はいまよりもずっと少なく、
ラックスの他にはダイナコとオーディオリサーチぐらいで、
しばらくしてコンラッド・ジョンソンが登場している状況だっただけに、
強烈に聴きたかったアンプのひとつであった。

実際に聴いた真空管アンプは、同じラックスのプリメインアンプのLX38だった。
もっとも私が生れたころ、家にあったテレビは真空管式だったので、
LX38がはじめて聴いた真空管アンプの音ではないわけだが、
五味先生の文章を読んだ後ではじめて聴いたのは、LX38である。

Date: 10月 25th, 2008
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その1)

小学校低学年のころ、ひどいゼンソクで、学校を早退したり休んだりが多かった私は、
この時間を利用して、世の中に出ているマンガのすべてを読んでやろう、と思っていた。
でも数年もすれば、いかに無謀なことか小学生でもわかる。
それでは、と考えたのは手塚治虫作品をすべて読もう、ということ。

いまでこそ講談社から手塚治虫全集が出ているが、当時、そんなものはなく、
初期の作品「新宝島」(トレース版)が復刻されたのが、ひじょうに珍しいことだった。

「鉄腕アトム」ももちろんまっさきに買って読んでいた。

オーディオに興味をもちはじめてから読みなおすと、
アトムの腹部には真空管が3本使われていることに気がついた。
真空管が切れたから、といって交換するシーンがある。

ウェスターン・エレクトリックの211Eのような、大型の真空管だ。

なんと強引なこじつけだと自分でも思うのだが、
鉄腕アトムが、他の漫画家の描くロボットに比べ、表情がゆたかで、多くのひとに愛されるのは、
真空管が使われているからだ、と。

五味先生は、オーディオ愛好家の五条件に、「真空管を愛すること」と書かれている。