「はだしのゲン」(その5)
五味先生は、つづけてこう書かれている。
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そのくせ、バルトークの全六曲の弦楽四重奏曲を、ジュリアードの演奏盤で私は秘蔵している。不幸にして私が狂人になったとき、私を慰めてくれる音楽はもうこれしかあるまい、と思えるし、気ちがいになっても、バルトークのクヮルテットがあるなら私は音楽を失わずにすみそうだ。狂人に音楽が分るものかどうか、その時になってみなければ分らぬが、モーツァルトとバルトークのものだけは、理解できそうな気がする。
そういう意味で、私のこれは独断だが、バルトークは現代音楽でモーツァルトに比肩し得る唯一の芸術家だ。アルバン・ベルクもビラ・ロボスもシェーンベルクも、ついに新音楽ではバルトークの亜流にすぎない、そう断言してもよいと思う。
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「ジュリアードの演奏盤」としか書かれていない。
ジュリアード弦楽四重奏団は、三度バルトークを録音している。
モノーラル時代、ステレオになり1963年、デジタルになり1981年。
五味先生は1980年に亡くなられているから、
五味先生が秘蔵されていたジュリアードの演奏盤は、
バルトークの弦楽四重奏曲のすごさを、多くの聴き手に思い知らせたという意味でも、
モニュメンタルな録音といえる1963年のもののはずだ。
1963年はちょうど50年前。
私はうまれたばかりだから、当時のことを自分の体験として知っているわけではないが、
本やきくところによると、1963年にはバルトークは「現代音楽」として聴かれていた、ということだ。
バルトークの弦楽四重奏曲の第一番が1908〜1909年、
第二番が1915〜1917年、第三番が1927年、第四番が1928年、第五番が1934年、最後の第六番が1939年。
ジュリアード弦楽四重奏団がステレオ録音したとき、第六番の完成から24年後。
「現代音楽」としてバルトークの音楽が聴かれていた時代がはっきりとあって、
1963年はまだまだそういう時代だったからこそ、
ジュリアード弦楽四重奏団による二組のバルトークの全集を聴きくらべたとき、
音の良さでは1981年の録音が優れている。
けれど、演奏の気魄となると、1963年の録音に圧倒される。