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Date: 8月 13th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その11)

空気をビリビリと振るわせる。
ときには空気そのものをビリつかせる。

「オーディオ彷徨」とHIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだ後、
私の裡にできあがったD130像が、そうだ。

なぜD130には、そんなことが可能だったのか。
空気をビリつかせ、コーヒーカップのスプーンが音を立てるのか。
正確なところはよくわからない。
ただ感覚的にいえば、D130から出てくる、というよりも打ち出される、といったほうがより的確な、
そういう音の出方、つまり一瞬一瞬に放出されるエネルギーの鋭さが、そうさせるのかもしれない。

D130の周波数特性は広くない。むしろ狭いユニットといえる。
D130よりも広帯域のフルレンジユニットは、他にある。
エネルギー量を周波数軸、時間軸それぞれに見た場合、D130同等、もしくはそれ以上もユニットもある。
だが、ただ一音、ただ一瞬の音、それに附随するエネルギーに対して、
D130がもっとも忠実なユニットなのかもしれない。
だからこそ、なのだと思っている。

そしてD130がそういうユニットだったからこそ、岩崎先生は惚れ込まれた。

スイングジャーナル1970年2月号のサンスイの広告の中で、こう書かれている。
     *
アドリブを重視するジャズにおいては、一瞬一瞬の情報量という点で、ジャズほど情報量の多いものはない。一瞬の波形そのものが音楽性を意味し、その一瞬をくまなく再現することこそが、ジャズの再生の決め手となってくる。
     *
JBL・D130の本質を誰よりも深く捉え惚れ込んでいた岩崎先生だからこその表現だと思う。
こんな表現は、ジャズを他のスピーカーで聴いていたのでは出てこないのではなかろうか。
D130でジャズで聴かれていたからこその表現であり、
この表現そのものが、D130そのものといえる。

Date: 8月 13th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その10)

私は、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだあと、
そう経たないうちに「オーディオ彷徨」を読んだことで、D130を誤解することなく受けとることができた。
もちろん、このときD130の音は聴いたことがなかったし、実物を見たこともなかった。

HIGH-TECHNIC SERIES 4の記事をだけを読んで(素直に読めばD130の凄さは伝わってくるけれども)、
一緒に掲載されている実測データを見て、D130の設計の古さを指摘して、
コーヒーカップのスプーンが音を立てたのは、歪の多さからだろう、と安易な判断を下す人がいておかしくない。

昨日書いたこの項の(その9)に坂野さんがコメントをくださった。
そこに「現在では欠陥品と呼ぶ人がいておかしくありません」とある。
たしかにそうだと思う。現在に限らず、HIGH-TECHNIC SERIES 4が出たころでも、
そう思う人がいてもおかしくない。

D130は優秀なスピーカーユニットではない、欠点も多々あるけれども、
欠陥スピーカーでは、断じてない。
むしろ私はいま現行製品のスピーカーシステムの中にこそ、欠陥スピーカーが隠れている、と感じている。
このことについて別項でふれているので、ここではこれ以上くわしくは書かないが、
第2次、第3次高調波歪率の多さにしても、
その測定条件をわかっていれば、必ずしも多いわけではないことは理解できるはずだ。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での歪率はどのスピーカーユニットに対しても入力1Wを加えて測定している。
つまり測定対象スピーカーの音圧をすべて揃えて測定しているわけではない。
同じJBLのLE8Tも掲載されている。
LE8Tの歪率はパッと見ると、圧倒的にD130よりも優秀で低い。
けれどD130の出力音圧レベルは103dB/W/m、LE8Tは89dB/W/mしかない。14dBもの差がある。
いうまでもなくLE8TでD130の1W入力時と同じ音圧まであげれば、それだけ歪率は増える。
それがどの程度増えるかは設計にもよるため一概にいえないけれど、
単純にふたつのグラフを見較べて、
こっちのほうが歪率が低い、あっちは多すぎる、といえるものではないということだ。

D130と同じ音圧の高さを誇る604-8Gの歪率も、だからグラフ上では多くなっている。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明
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40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その9)

D130は、凄まじいユニットだと、ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだときに、そう思った。
そしてHIGH-TECHNIC SERIES 4のあとに、私は「オーディオ彷徨」を読んだ。
「オーディオ彷徨」1977年暮に第一版が出ているが、私が手にして読んだのは翌年春以降に出た第二版だった。
「オーディオ彷徨」を読み進んでいくうちに、D130の印象はますます強くはっきりとしたものになってきた。

岩崎先生の文章を読みながら、こういうユニットだからこそ、コーヒーカップのスプーンが音が立てるのか、
とすっかり納得していた。

D130よりも出来のいい、優秀なスピーカーユニットはいくつもある。
けれど「凄まじい」と呼べるスピーカーユニットはD130以外にあるだろうか。

おそらくユニット単体としてだけみたとき、D130とD101では、後者のほうが優秀だろうと思う。
けれど、音を聴いていないから、515や604-8Gを聴いた印象からの想像でしかないが、
D101には、D130の凄まじさは微塵もなかったのではないだろうか。
どうしてもそんな気がしてしまう。

D130を生み出すにあたって、
ランシングはありとあらゆることをアルテック時代にやってきたことと正反対のことをやったうえで、
それは、しかし理論的に正しいことというよりも、ランシングの意地の結晶といえるはずだ。

素直な音の印象の515(それにD101)と正反対のことをやっている。
515は、アルテック時代にランシングがいい音を求めて、
優秀なユニットをつくりるためにやってきたことの正反対のことをあえてやるということ──、
このことがもつ意味、そして結果を考えれば、
D130は贔屓目に見ても、優秀なスピーカーユニットとは呼びにくい、どころか呼べない。

だからD130は人を選ぶし、その凄まじさゆえ強烈に人を惹きつける。

Date: 8月 12th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その8)

D101では、コーヒーカップのスプーンは、音を立てただろうか。
おそらく立てない、と思う。

アルテックの604シリーズの原形はランシングの設計だし、
604のウーファーは、やはりランシング設計の515相当ともいわれている。
その604ではスプーンが音を立てなかったということは、
同じく515をベースにフルレンジ化したD101も、スプーンは音を立てない、とみている。

以前、山中先生が、
ウェスターン・エレクトリックの594を中心としたシステムのウーファーに使われていた
アルテックの515を探したことがあった。
山中先生からHiVi編集長のOさんのところへ話が来て、さらに私のところにOさんから指示があったわけだ。

いまでこそ初期の515といってもわりとすぐに話が通じるようになっているが、
当時はこの時代のスピーカーユニットを取り扱っている販売店に問い合わせても、
まず515と515Bの違いについて説明しなければならなかった。

それこそステレオサウンドに広告をだしている販売店に片っ端から電話をかけた。
そしてようやく515と515Bの違いについて説明しなくても、
515がどういうユニットなのかわかっている販売店にたどりつけた。
すぐ入荷できる、ということでさっそく編集部あてに送ってもらった。

届いた515は、私にとってはじめてみる515でもあったわけで、箱から取り出したその515は、
数十年前に製造されたものと思えないほど状態のいいモノだった。
それでHiViのOさんとふたりで、とにかくどんな音が出るんだろうということで、
トランジスターラジオのイヤフォン端子に515をつないだ。

このとき515から鳴ってきた音は、実に澄んでいた。
大型ウーファーからでる音ではなく、大型フルレンジから素直に音が細やかに出てくる感じで、
正直、515って、こんなにいいユニット(ウーファーではなくて)と思ったほどだった。

もしD130で同じことをしたら、音が出た瞬間に、
たとえ小音量ではあってもそのエネルギー感に驚くのかもしれない。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その7)

凄まじいユニット、というのが、私のD130に対する第一印象だった。

HIGH-TECHNIC SERIES 4には37機種のフルレンジが登場している。
10cm口径から38cm口径まで、ダブルコーンもあれば同軸型も含まれている。
これらの中には、出力音圧レベル的にはD130に匹敵するユニットがある。
アルテックの604-8Gである。

カタログ発表値はD130が103dB/W/m、604-8Gが102dB/W/m。
HIGH-TECHNIC SERIES 4には実測データがグラフで載っていて、
これを比較すると、D130と604-8Gのどちらが能率が高いとはいえない。
さらに残響室内における能率(これも実測値)があって、
D130が104dB/W/m、604-8Gが105dB/W/mと、こちらは604のほうがほんのわずか高くなっている。
だから、どちらが能率が高いとは決められない。
どちらも高い変換効率をもっている、ということが言えるだけだ。

だが、アルテック604-8Gの試聴のところには、
D130を印象づけた「エネルギー感」という表現は、三氏の言葉の中には出てこない。
もちろん記事は編集部によってまとめられたものだから、
実際に発言されていても活字にはなっていない可能性はある。
だが三氏の発言を読むかぎり、おそらく「エネルギー感」が出ていたとしても、
D130のそれとは違うニュアンスで語られたように思える。

ここでも瀬川先生の発言を引用しよう。
     *
ジャズの場合には、この朗々とした鳴り方が気持よくパワーを上げてもやかましくならず、どこまでも音量が自然な感じで伸びてきて、楽器の音像のイメージを少しも変えない。そういう点ではやはり物すごいスピーカーだということを再認識しました。
     *
おそらく604-Gのときにも、D130と同じくらいの音量は出されていた、と思う。
なのにここではコーヒーカップのスプーンは音を立てていない。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その6)

JBLのD130というフルレンジユニットとは、いったいどういうスピーカーユニットなのか。

JBLにD130という15インチ口径のフルレンジユニットがあるということは早い時期から知っていた。
それだけ有名なユニットであったし、JBLの代名詞的なユニットでもあったわけだが、
じつのところ、さしたる興味はなかった。
当時は、まだオーディオに関心をもち始めたばかり若造ということもあって、
D130はジャズ専用のユニットだから、私には関係ないや、と思っていた。

1979年にステレオサウンド別冊としてHIGH-TECHNIC SERIES 4が出た。
フルレンジユニットだけ一冊だった。

ここに当然のことながらD130は登場する。
試聴は岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏によって、
1辺2.1mの米松合板による平面バッフルにとりつけられて行われている。
フルレンジの比較試聴としては、日本で行われたものとしてここまで規模の大きいものはないと思う。
おそらく世界でも例がないのではなかろうか。

この試聴で使われた平面バッフルとフルレンジの音は、
当時西新宿にあったサンスイのショールームでも披露されているので実際に聴かれた方もおいでだろう。
このときほと東京に住んでいる人をうらやましく思ったことはない。

HIGH-TECHNIC SERIESでのD130の評価はどうだったのか。
岡先生、菅野先生とも、エネルギー感のものすごさについて語られている。
瀬川先生は、そのエネルギー感の凄さを、もっと具体的に語られている。
引用してみよう。
     *
ジャズになって、とにかくパワーの出るスピーカーという定評があったものですから、どんどん音量を上げていったのです。すると、目の前のコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、それでもまだ上げていったらあるフレーズで一瞬われわれの鼓膜が何か異様な音を立てたんです。それで怖くなって音量を絞ったんですけど、こんな体験はこのスピーカー以外にはあまりしたことがありませんね。菅野さんもいわれたように、エネルギー感が出るという点では希有なスピーカーだろうと思います。
     *
このときのD130と同じ音圧を出せるスピーカーは他にもある。
でもこのときのD130に匹敵するエネルギー感を出せるスピーカーはあるのだろうか。

Date: 8月 10th, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その5)

D101は資料によると”General Purpose”と謳われている。
PAとして使うことも考慮されているフルレンジユニットであった。

よくランシングがアルテックを離れたのは
劇場用の武骨なスピーカーではなく、家庭用の優秀な、
そして家庭用としてふさわしい仕上げのスピーカーシステムをつくりたかったため、と以前は言われていた。
その後、わかってきたのは最初からアルテックとの契約は5年間だったこと。
だから契約期間が終了しての独立であったわけだ。

アルテックのとの契約の詳細までは知らないから、
ランシングがアルテックに残りたければ残れたのか、それとも残れなかったのかははっきりとしない。
ただアルテックから離れて最初につくったユニットがD101であり、
ランシングがアルテック在籍時に手がけた515のフルレンジ的性格をもち、
写真でみるかぎり515とそっくりであったこと、そしてGeneral Purposeだったことから判断すると、
必ずしも家庭用の美しいスピーカーをつくりたかった、ということには疑問がある。

D101ではなく最初のスピーカーユニットがD130であったなら、
その逸話にも素直に頷ける。けれどD101がD130の前に存在している。
ランシングは自分が納得できるスピーカーを、
自分の手で、自分の名をブランドにした会社でつくりたかったのではないのか。

だからこそ、D101とD130を聴いてみたい、と思うし、
もしD101に対してのアルテック側からのクレームがなく、そのままD101をつくり続け、
このユニットをベースにしてユニット開発を進めていっていたら、おそらくD130は誕生しなかった、ともいえよう。

Date: 8月 3rd, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その4)

一方のJBL(そしてランシング)はどうだろうか。

ランシングは1902年1月14日にイリノイ州に生れている。
1925年、彼はユタ州ソルトレーク・シティに移っている。西へ向ったわけだ。
ここでコーン型スピーカーの実験・自作をおこない、この年の秋、ケネス・デッカーと出逢っている。
1927年、さらに西、ロサンジェルスにデッカーとともに移り、サンタバーバラに仕事場を借り、
3月9日、Lansing Manufacturing Company はカリフォルニア州法人として登録される。
この直前に彼は、ジェームズ・マーティニから、ジェームズ・バロー・ランシングへと法的にも改名している。

このあとのことについて詳しくしりたい方は、
2006年秋にステレオサウンドから発行された「JBL 60th Anniversary」を参照していただきたい。
この本の価値は、ドナルド・マクリッチーとスティーヴ・シェル、ふたりによる「JBLの歴史と遺産」、
それに年表にこそある、といってもいい。
それに較べると、前半のアーノルド・ウォルフ氏へのインタヴュー記事は、
読みごたえということで(とくに期待していただけに)がっかりした。
同じ本の中でカラーページを使った前半と、
そうではない後半でこれほど密度の違っているのもめずらしい、といえよう。

1939年,飛行機事故で共同経営者のデッカーを失ったこともあって、
1941年、ランシング・マニファクチェアリングは、アルテック・サーヴィスに買収され、
Altec Lansing(アルテック・ランシング)社が誕生することとなる。
ランシングは技術担当副社長に就任。
そして契約の5年間をおえたランシングは、1946年にアルテック・ランシング社からはなれ、
ふたたびロサンジェルスにもどり、サウススプリングに会社を設立する。
これが、JBLの始まり、となるわけだ。
(ひとつ前に書いているように、1943年にはアルテックもハリウッドに移転している。)

とにかく、ランシングは、つねに西に向っていることがわかる。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その3)

D101とD130の違いは、写真をみるだけでもまだいくつかある。
もし実物を比較できたら、もっといくつもの違いに気がつくことだろう。
何も知らず、D101とD130を見せられたら、同じ会社がつくったスピーカーユニットとは思えないかもしれない。

D101が正相ユニットだとしたら、D130とはずいぶん異る音を表現していた、と推察できる。
アルテックとJBLは、アメリカ西海岸を代表する音といわれてきた。
けれど、この表現は正しいのだろうか、と思う。
たしかに東海岸のスピーカーメーカーの共通する音の傾向と、アルテックとJBLとでは、
このふたつのブランドのあいだの違いは存在するものの、西海岸の音とひとくくりにしたくなるところはある。
けれど……、といいたい。
アルテックは、もともとウェスターン・エレクトリックの流れをくむ会社であることは知られている。
アルテックの源流となったウェスターンエレクトリックは、ニューヨークに本社を置いていた。
アルテックの本社も最初のうちはニューヨークだった。
あえて述べることでもないけれど、ニューヨークは東海岸に位置する。

アルテックが西海岸のハリウッドに移転したのは、1943年のことだ。
1950年にカリフォルニア州ビヴァリーヒルズにまた移転、
アナハイムへの工場建設が1956年、移転が1957年となっている。
1974年にはオクラホマにエンクロージュア工場を建設している。

アルテックの歴史の大半は西海岸にあったとはいうものの、もともとは東海岸のメーカーである。
つまりわれわれがアメリカ西海岸の音と呼んでいる音は、アメリカ東海岸のトーキーから派生した音であり、
アメリカ東海岸の音は、最初から家庭用として生れてきた音なのだ。

Date: 8月 1st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その2)

タイムマシーンが世の中に存在するのであれば、
オーディオに関することで幾つか、その時代に遡って確かめたいことがいくつもある。
そのひとつが、JBLのD101とD130の音を聴いてみることである。

D101はすでに書いてように、アルテックの同口径のウーファーをフルレンジにつくり直したように見える。
古ぼけた写真でみるかぎり、センターのアルミドーム以外にはっきりとした違いは見つけられない。

だから、アルテックからのクレームがきたのではないだろうか。
このへんのことはいまとなっては正確なことは誰も知りようがないことだろうが、
ただランシングに対する、いわば嫌がらせだけでクレームをつけてきたようには思えない。
ここまで自社のウーファーとそっくりな──それがフルレンジ型とはいえ──ユニットをつくられ売られたら、
まして自社で、そのユニットの開発に携わった者がやっているとなると、
なおさらの、アルテック側の感情、それに行動として当然のことといえよう。
しかもランシングは、ICONIC(アイコニック)というアルテックの商標も使っている。

だからランシングは、D130では、D101と実に正反対をやってユニットをつくりあげた。
まずコーンの頂角が異る。アルテック515の頂角は深い。D101も写真で見ると同じように深い。
それにストレート・コーンである。
D130の頂角は、この時代のユニットのしては驚くほど浅い。

コーンの性質上、まったく同じ紙を使用していたら、頂角を深くした方が剛性的には有利だ。
D130ほど頂角が浅くなってしまうと、コーン紙そのものを新たにつくらなければならない。
それにD130のコーン紙はわずかにカーヴしている。
このことと関係しているのか、ボイスコイル径も3インチから4インチにアップしている。
フレームも変更されている。
アルテック515とD101では、フレームの脚と呼ぶ、コーン紙に沿って延びる部分が4本に対し、
D130では8本に増え、この部分に補強のためにいれている凸型のリブも、
アルテック515、JBLのD101ではコーンの反対側、つまりユニットの裏側から目で確かめられるのに対し、
D130ではコーン側、つまり裏側を覗き込まないと視覚的には確認できない。

これは写真では確認できないことだし、なぜかD101をとりあげている雑誌でも触れられていないので、
断言はできないけれど、おそらくD101は正相ユニットではないだろうか。
JBLのユニットが逆相なのはよく知られていることだが、
それはD101からではなくD130から始まったことではないのだろうか。

Date: 7月 31st, 2011
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その1)

ブランド名としてのJBLときいて、思い浮べるモノは人によって異る。
現在のフラッグシップのDD66000をあげる人もいるだろうし、
1970年代のスタジオモニター、そのなかでも4343をあげる人、
オリンパス、ハークネス、パラゴン、ハーツフィールドといった、
コンシューマー用スピーカーシステムを代表するこれらをあげる人、
最初に手にしたJBLのスピーカー、ブックシェルフ型の4311だったり、20cm口径のLE8Tだったり、
ほかにもランサー101、075、375、537-500など、いくつもあるはず。

けれどJBLといっても、ブランドのJBLではなく、James Bullough Lansing ということになると、
多くの人が共通してあげるモノは、やはりD130ではないだろうか。
私だって、そうだ。James Bullough Lansing = D130 のイメージがある。
D130を自分で鳴らしたことはない。実のところ欲しい、と思ったこともなかった。
そんな私でも、James Bullough Lansing = D130 なのである。

D130は、James Bullough Lansing がJBLを興したときの最初のユニットではない。
最初に彼がつくったのは、
アルテックの515のセンターキャップをアルミドームにした、といえるD101フルレンジユニットである。
このユニットに対してのアルテックからのクレームにより、
James Bullough Lansing はD101と、細部に至るまで正反対ともいえるD130をつくりあげる。
そしてここからJBLの歴史がはじまっていく。

D130はJBLの原点ではあっても、いまこのユニットを鳴らすとなると、意外に使いにくい面もある。
まず15インチ口径という大きさがある。
D130は高能率ユニットとしてつくられている。JBLはその高感度ぶりを、0.00008Wで動作する、とうたっていた。
カタログに発表されている値は、103dB/W/mとなっている。
これだけ高能率だと、マルチウェイにしようとすれば、中高域には必然的にホーン型ユニットを持ってくるしかない。
もっともLCネットワークでなく、マルチアンプドライヴであれば、低能率のトゥイーターも使えるが……。
当然、このようなユニットは口径は大きくても低域を広くカヴァーすることはできない。
さらに振動板中央のアルミドームの存在も、いまとなっては、ときとしてやっかいな存在となることもある。

これ以上、細かいことをあれこれ書きはしないが、D130をベースにしてマルチウェイにしていくというのは、
思っている以上に大変なこととなるはずだ。
D130の音を活かしながら、ということになれば、D130のウーファー販である130Aを使った方がうまくいくだろう。

Date: 7月 27th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その39・補足)

ジェンセン、ルンダール、マリンエアまで候補としてあげておきながら、
ひとつ忘れていたトランス・メーカーを思い出した。
ドイツのHAUFEだ。

ドイツのオーディオ機器に詳しい方ならご存じの方もおられるだろうし、
メーカー名は知らなくても、この会社が作っているトランスの写真を見れば、
どこかで見たことがある、と思われるはず。

EMTの管球式イコライザーアンプに搭載されているトランス、
ノイマンの業務用機器に搭載されていたトランスを作っていた会社が、HAUFEだ。
この会社の感心、というよりも凄いところは、
オーダーを出せば、すでに製造中止になっているトランスでも作ってくれるところにある。
まったく同じモノかどうかは断言できないけれど、少なくとも期待を裏切るようなモノは作ってこないだろう。
だからといって、昔のトランスの復刻だけをやっているわけではない。

このHAUFE社のトランスも、候補のひとつしてあげておく。

Date: 7月 24th, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その42)

パラゴンでグラシェラ・スサーナを聴く──、
そんなことを思うようになったのは、1977年の秋ごろからだった。
ステレオサウンドからそのころ出版された「HIGH-TECHNIC SERIES-1」に載っていた
瀬川先生の文章を読んだ時からだった。
     *
EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
14歳の私は、単純にも「グラシェラ・スサーナ」の名前が出てきたこと、
そして「いかに情感をこめて唱うか」、これだけでいつかはパラゴンで……と思いはじめていた。
そのことをずっといままで思いつづけてきたわけではない。
忘れていたころもあった。ときどき思い出すこともあった。
その間に、パラゴンというスピーカーシステムに関心を失ってしまったこともある。
揺れ動きながら、いまはここに書いてきたことを思っている、ということだ。

揺れは、いまもある。揺れのない感性というものはあるのだろうか。
そう思うし、そういう揺れのある感性の充足も、オーディオのひとつの目的だと思う。

自分の求めてる音、表現したい音は、こうだ、とひとつに決めつけることは、正直どうかな、と思う。
揺れながら、いつかはそれを収束させていけばいいことであり、
こうやってあれこれ組合せを思い描いていくのも、
私にとっては揺れを楽しみながら収束させていく過程なのかしもしれない。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その41)

だから、LNP2の出力にいれるトランスをどういう基準で選ぶかというと、
グラシェラ・スサーナの歌を鳴らしたときに、
どちらがより夜の匂いを感じさせてくれるかということも重要になってくる。

これでアンプも決った。残るはCDプレーヤーだが、ここも同じように夜の匂いを感じさせてくれるモノを、
重視しての選択になるかといえば違う。
ここは純粋にディスクに収められているものを細大漏らさず引き出してくれるものが欲しい。
それにSACDができれば再生できるモノがいい。
となると数は絞られてきて、さらに使いたくないモノがあるから、ますます候補は少なくなる。

それでもひとつだけ、ぜひ聴いてみたいと思っている本命が、
CHプレシジョンのSACDプレーヤー、D1である。
360万円と高価なプレーヤーであるし、見た目もすこし言いたくなるところは感じているけれど、
信頼できる耳の持主ふたりが(ひとりは、すでに購入ずみ)、このD1の音を絶賛していた。
その話しぶりからして、そうとうに凄い実力を持つモノだということは確信している。
聴いてもいないモノについて、こんなことは言うのもおかしいことだが、
いま最もいい音を出してくれるプレーヤーの、数少ないモノのひとつと呼べるだろう。

これで組合せがひとつできた。
CHプレシジョンのD1、マークレビンソンのLNP2、オラクルのSi3000、JBLのD44000 Paragonは、
音の入口からみると、新・旧・新・旧というふうに並んでしまった。

この組合せからどんな音がしてくるのかは実際に鳴らしてみないことにははっきりしたことはいえないにしても、
もしこの組合せを手に入れることができれば、真剣に向き合い調整していけば、
求める音が得られるという手ごたえに近い予感はある。

ひとりきりの夜、時間をもてあましたときにグラシェラ・スサーナの歌を聴けば、
きっと……、と思わせてくれるものがあると信じられれば、それでいいじゃないか、とも思う。

Date: 7月 23rd, 2011
Cate: 4343, JBL, 瀬川冬樹

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その13)

瀬川先生が4ウェイ・スピーカーシステムについて語られるのを、
単に周波数特性(振幅特性)の見地からでしか捉えてしまっている人がいる。
そうなってしまうと、瀬川先生がなぜ4ウェイのスピーカーにたどり着かれたのかを見落してしまうことになる。

「瀬川冬樹に興味がないから、別にそんなことを見落してもどうでもいいこと」──、
そんなふうなことが向うから返ってきそうだが、スピーカーシステムに関心があり、
ステレオ再生における音像の成り立ちに肝心がある人ならば、瀬川先生の4ウェイ構想から読み取れるものはある、
読み取れるはずである。

スピーカーの理想像は人によって一致しているところとそうでないところがある。
だから瀬川先生の4ウェイ構想に全面的に同意できない人がいて当然である。
完全なスピーカー構想というものは、まだまだ存在していないのだから。

それでも、あの時点で、なぜこういう4ウェイ構想を考えだされたのかについて考えてゆくことは、
スピーカーの理想について考えていく上でも意味のあることだと思っている。

それに瀬川先生の4ウェイ構想は、
瀬川先生がどういう音(広い意味での「音」)を求められていたのか知る重要な手がかりでもある。

瀬川先生の鳴らされていた音のバランスは、瀬川先生にしか出せないものだった、ときいている。
ただ、このことを鵜呑みにしてしまうと、
いつまでもたっても瀬川先生の音がどういうふうに鳴り響いていたのかはつかめない。

瀬川先生は4343、4345についている3つのレベルコントロールはほとんどいじっていなかった、と発言されている。
つまり周波数スペクトラム的な音のバランスに注意して聴いていても、
そしてそれによる瀬川先生の音を表現した言葉を聞いていても、すこしもそこに近づいたことにはならない。

このブログを書くためにも、瀬川先生の「本」をつくるためにも、
瀬川先生の書かれたもの、語られたものに集中的にふれてきて、
そして10代のころからずっと思い考えてきたことから、実感をもって言えるのは、
瀬川先生の音のバランスの特長は、周波数スペクトラム的なこととは違うところにある、ということだ。

だから、あの時点での4ウェイ構想だ、と理解できる。