楷書か草書か(その2)
楷書か草書かで言えば、カラヤンのスタジオ録音は楷書であろう。
70年代の録音を聴くと、そう感じる。
楷書、草書のふたつだけで区分けすることの無理があるのはわかっている上で、
5月発売になった、最後の来日公演のライヴ録音のなかのブラームスの交響曲第1番は、
楷書なのかと、自問する。考えこんでしまう。
楷書か草書かで言えば、カラヤンのスタジオ録音は楷書であろう。
70年代の録音を聴くと、そう感じる。
楷書、草書のふたつだけで区分けすることの無理があるのはわかっている上で、
5月発売になった、最後の来日公演のライヴ録音のなかのブラームスの交響曲第1番は、
楷書なのかと、自問する。考えこんでしまう。
アバドのマーラーは、私にとっては、1980年前後にシカゴ響との旧録のほうが、
そのなかでも交響曲第1番は、ひときわ印象ぶかいものとなっている。
1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の取材で、
アバドによる第1番をはじめて聴いたとき、
第1楽章出だしの緊張感、カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写に、
息がつまりそうな感じに陥ったのを、はっきりとおぼえている。
ステレオサウンドにはいってまだ数ヶ月。
長時間の、しかも数日続く試聴にまだなれていなくて、
さらに、たとえば4344の試聴にしても、4343との比較、
アンプも3通りほど用意してという内容だっただけに、
試聴室の雰囲気も緊張感がみなぎっていて、そこにアバドの演奏で、ぐったりになったものだ。
いったい、何度聴いたのだろう……。
だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
なのに去年暮、ふと聴きたくなってあらためてCDを購入した。
82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
バーンスタインの再録ももちろん聴いている。
ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
「このころのアバドは楷書で、バーンスタインは草書」ということ。
こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
楷書か草書かで、自分の好きな演奏家や音を照らし合わせてみるのはおもしろい。