「音楽性」とは(映画性というだろうか・その7)
スパイダーマンの映画については、あれこれ書いていきたいことはあるけれど、
オーディオとの関係性はほとんどないので、ここはがまんするとして、
「アメイジング・スパイダーマン2」を3D+ドルビーアトモスで観た人ならば、
「アメイジング・スパイダーマン2」は映画だな、と誰もが思うはずだ。
私が小学校にあがる前までごろはうちにあるテレビはモノクロだった。
ブラウン管のサイズも小さかった。
それがカラーになり、サイズも大きくなっていった。
それでも私が実家にいたころは21インチだった。
その数年後に三菱電機から37インチのテレビが登場した。
そのころはステレオサウンドで働いていたし、となりのHiVi編集部に、
この37インチが運ばれてきた日のことは、憶えている。
大きいことは予想していたけど、その奥行きは予想以上だった。
こんなにも大きいのか、37インチでこれだけの奥行きを必要とするのであれば、
もっと大きなブラウン管だと、どれだけ奥に長くなるのか。
技術は進歩していくから、同じインチでも奥行きは短くなっていくであろうが、
それでもブラウン管を使っているかぎり、テレビの大画面には無理がある、と思っていたし、
そのころは、いまのようにここまで家庭のテレビが大型化するとはまったく予想していなかった。
家庭のテレビはどこまで大きくなっていくのか。
大きくなっていくことで、昔以上に考えさせられるのは、映画とテレビの、
それぞれの作品の違いとはいったいなんなのか、である。
どちらも映像作品であるわけだが、何が映画としての作品であり、テレビとしての作品を、
われわれにそう認識させているのだろうか。