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Date: 5月 10th, 2013
Cate: audio wednesday

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(再掲・第29回audio sharing例会のお知らせ)

ひとりでも多くの方に来ていただきたいので、5月1日に公開したものを再掲します。
5月1日の段階では片桐氏と西川氏、おふたりでしたが、
ビクターに勤務されていた西松朝男氏も来てくださることになりました。

−−−−−以下再掲−−−−−
「昔はよかった」と書いている。
だからいまは、そのよかった昔よりもずっとよい、といいたい。
本音で、心からそういいたい。

すべてがその昔よりも悪くなっているとは言わないけれど、
それでも「昔はよかった」といわざるをえないのが現実であり現状である。

「昔はよかった」と書いている私は、いま50。
私より上の世代の人は大勢いる。
私が「昔はよかった」といっている時代よりも、もっと前のことを体験してきている人たちがいる。

私は瀬川先生とは何度かお会いできた。
話をすることもできた。
けれど五味先生、岩崎先生には会えなかった。

オーディオ界には、岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた人たちがいる。
その人たちに、いまのうちに話をきいておこう、と思っている。

「昔はよかった」のはなぜだったのかを、より深く知りたいという気持もあるからだ。

6月5日(水曜日)のaudio sharingの例会には、
岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた国内メーカーに勤務されていた、
いわばオーディオの先輩といえる人たちに来ていただく。

パイオニアに勤務されていた片桐陽氏、
サンスイに勤務されていた西川彰氏、
ビクターに勤務されていた西松朝男氏、
お三方に「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」について語っていただく。

折しも5月31日には、ステレオサウンドから岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊、
さらに瀬川先生の著作集の出版も予定されている。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」についてなら、
私にも語らせろ、という方いらっしゃいましたらご連絡ください。

Date: 5月 8th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その2)

瀬川先生の著作集が出ないことがはっきりした。

よく遺稿集という言い方をする。私もこれまで何度も使ってきた。
けれど遺稿とは、未発表のまま、その筆者が亡くなったあとに残された原稿であって、
すでに発表された文章を一冊の本をまとめたものは遺稿集とは呼ばない──、
ということを、私もつい先日知ったばかりである。

私の手もとには瀬川先生の未発表の原稿(ただし未完成)がひとつだけある。
いずれ電子書籍の形で公開する予定だけれど、それでも一本だけだから、遺稿集とはならない。
あくまでも著作集ということになる。

ステレオサウンドの決まり、
そんなことがあるものか、と思われる方も少なくないと思う。
けれどふりかえってみていただきたい。
瀬川先生の著作集は出なかった。
黒田先生の著作集も出なかった。
黒田先生の本は、すでに「聴こえるものの彼方へ」が出ていたから。

岡先生の本も出ていない。
岡先生の本は、すでに「レコードと音楽とオーディオと」というムックが出ていたから。

山中先生の本も出ていない。
山中先生の本は、すでに「ブリティッシュ・サウンド」というムックが出ていたから。
「ブリティッシュ・サウンド」は山中先生ひとりだけではないものの、
メインは山中先生ということになる。

長島先生の本も出ていない。
長島先生の本は、すでに「HIGH-TECHNIC SERIES2 図説・MC型カートリッジの研究」が出ていたから。

I先輩の言われた「決まり」、
そういうものがあることをあとになって「やっぱりそうなのか」と、
ステレオサウンドをやめたあと、岡先生、長島先生、山中先生が亡くなり、そう思っていた。

だからこそ瀬川先生が亡くなられて32年目の今年、著作集がステレオサウンドから出る、ということは、
嬉しいとともに、意外でもあった。

正直、遅すぎる、とは思う。
そう思うとともに、なぜ、いまになって、とも考えている。

Date: 5月 8th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その1)

5月31日に岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊され、
瀬川先生の著作集が出るのだから、このことは書いてもいいと判断したことがある。

私がステレオサウンドで働くようになったのは、1982年1月。
瀬川先生が亡くなって二ヵ月後のこと。
ステレオサウンド試聴室隣の倉庫には、
瀬川先生が愛用されていたKEF・LS5/1A、スチューダーA68、マークレビンソンLNP2があった。

そういうときに私はステレオサウンドで働きはじめた。

入ってしばらくして訊ねたことは「瀬川先生の遺稿集はいつ出るんですか」だった。
編集部のI先輩にきいた。
どうみても、その編集作業にとりかかっている様子はどこにもなかったし、
そんな話も出てきていなかったから、不思議に思いきいたのだった。

I先輩の返事は、当時の私にはたいへんショックなものだった。
「出ないんだよ。ステレオサウンドのルールとして筆者一人一冊と決っているから。
瀬川先生はすでに『コンポーネントステレオのすすめ』がもう出ているから……」

確かに「コンポーネントステレオのすすめ」は出ている。
しかも改訂版も出て、「続・コンポーネントステレオのすすめ」も出ている。
だからといって、なぜ出さないのか。
そんなことを誰が決めたの? そんな決まり(これが決まりと呼べるのだろうか)は破ればいいじゃないか、
ステレオサウンドにとって瀬川冬樹とは、そんな存在だった?──、
とにかくそんなことが次々と頭に浮んだものの、何も言わなかった(言えなかった)。

Date: 5月 1st, 2013
Cate: audio wednesday
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岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(第29回audio sharing例会のお知らせ)

「昔はよかった」と書いている。
だからいまは、そのよかった昔よりもずっとよい、といいたい。
本音で、心からそういいたい。

すべてがその昔よりも悪くなっているとは言わないけれど、
それでも「昔はよかった」といわざるをえないのが現実であり現状である。

「昔はよかった」と書いている私は、いま50。
私より上の世代の人は大勢いる。
私が「昔はよかった」といっている時代よりも、もっと前のことを体験してきている人たちがいる。

私は瀬川先生とは何度かお会いできた。
話をすることもできた。
けれど五味先生、岩崎先生には会えなかった。

オーディオ界には、岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた人たちがいる。
その人たちに、いまのうちに話をきいておこう、と思っている。

「昔はよかった」のはなぜだったのかを、より深く知りたいという気持もあるからだ。

6月5日(水曜日)のaudio sharingの例会には、
岩崎先生、瀬川先生と仕事をされてきた国内メーカーに勤務されていた、
いわばオーディオの先輩といえる人たちに来ていただく。

パイオニアに勤務されていた片桐陽氏、サンスイに勤務されていた西川彰氏、
おふたりに「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」について語っていただく。

折しも5月31日には、ステレオサウンドから岩崎先生の「オーディオ彷徨」が復刊、
さらに瀬川先生の著作集の出版も予定されている。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

「岩崎千明・瀬川冬樹がいた時代」についてなら、
私にも語らせろ、という方いらっしゃいましたらご連絡ください。

Date: 7月 15th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(バッハ 無伴奏チェロ組曲・その4)

タイトルとはほとんど関係ないことなのだが、
フルニエといえば,グルダとのベートーヴェンのチェロ・ソナタと変奏曲がある。
1959年の録音で、フルニエは六年後に、ケンプとのライヴ録音を行っている。

どちらもドイツ・グラモフォンである。
いま日本ではどちらのほうが評価が高いのだろうか。
レコード雑誌も読まなくなってけっこう経つ。

名曲・名盤の企画では、ベートーヴェンのチェロ・ソナタは、
誰の、どんな演奏が選ばれるのか、まったく知らない。

1980年代のなかばごろだったと記憶している。
黒田先生が、フルニエとグルダのベートーヴェンは素晴らしい演奏が聴けるのに、
忘れられかけられていて、残念なことである、と書かれていた。

フルニエのベートーヴェンが発売になった当時のことを知っているわけではないが、
ケンプとのライヴ録音は、その年のレコードアカデミー賞を受賞している。

そのことでグルダとのベートーヴェンのほうは、日本では影が薄くなったのだろうか。

フルニエとグルダのベートーヴェンは、CD+Blu-Ray Audioで出ている。
MQA(192kHz、24ビット)もある。
フルニエとケンプは、SACDが出ていた。
DSF(2.8MHz)とMQA、flac(96kHz、24ビット)がある。

少なくともいまは忘れられているわけではない、といえる。
瀬川先生は、ベートーヴェンのチェロ・ソナタは、誰の演奏を好まれていたのだろうか。

ステレオサウンド 16号の富士フイルムの広告(モノクロ見開き二ページ)、
左上に、
オーディオ評論家リスニングルーム深訪シリーズ(2)
瀬川冬樹氏
とある。

右側には、広告のコピーがある。
     *
音楽とは、ずっと
蓄音機時代から……。
うーん……〈太公トリオ〉が
ぼくの初恋。
あまりの感激に
床にしゃがみこんじゃったな。
衝撃的なフィーリング
だったんですよ……。
     *
瀬川先生(というよりも大村少年)の音楽の初恋は、
ベートーヴェンの大公トリオなのだ。
カザルス・トリオのだ。

こんなことを書いていると、瀬川先生の愛聴盤リストがないのだろうか、とおもう。
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(その10)」でも書いているが、
岩崎先生の「オーディオ彷徨」には愛聴盤リストがある。
瀬川先生の「良い音とは 良いスピーカーとは?」には、ない。

Date: 4月 20th, 2020
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その4)

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、終りはやってこない。
これから先、どれだけ趣味としてのオーディオが、
それからオーディオ評論というものが続いていくのかはわからないが、
その最後まで、岩崎千明と瀬川冬樹のいない時代は続くわけだ。

長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたこと。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
     *
私もそう思っている。
そうだとすれば、オーディオ評論はステレオサウンドの創刊とともに始まった、ともいえる。
それ以前からあった、といえば確かにあった。
けれど、長島先生がいわれるところの「オーディオ評論」は、
その場が生じてはじめて可能になるわけで、そういう意味でも、
私は1966年、ステレオサウンドの創刊からと捉えている。

1966年から2020年。
もう五十年以上が経っている。

岩崎先生は1977年、
瀬川先生は1981年だから、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代のほうが、はるかにながい。

この「ながい」は、
いまオーディオ評論家としてなにかを書いている人たちもキャリアもいえることだ。

それだけでなく、オーディオを趣味としてきている人たちも、
オーディオのキャリアは、岩崎先生、瀬川先生よりもながい人が少なくない。

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、われわれはオーディオをやっている。
そのことを意識しなければならない──、
そういいたいわけではない。

意識していなくて当然であろうし、それが多数であろうし、
意識していない人に意識しよう、という気もない。

けれど私は、どうしても「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」ということを、
強く意識してしまうときがある。

Date: 9月 17th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その29)

オーディオの想像力の欠如がしているから、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」から
「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」へと移行したときに生じた空洞を感じないのだろう。

Date: 8月 13th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオ雑誌に望むこと(その1)

岩崎千明という「点」があった。
瀬川冬樹という「点」があった。

人を点として捉えれば、点の大きさ、重さは違ってくる。

岩崎千明という「点」が書き残してきたものも、やはり「点」である。
瀬川冬樹という「点」が書き残してきたものも、同じく「点」である。

他の人たちが書いてきたものも点であり、これまでにオーディオの世界には無数といえる点がある。

点はどれだけ無数にあろうともそのままでは点でしかない。
点と点がつながって線になる。

このときの点と点は、なにも自分が書いてきた、残してきた点でなくともよい。
誰かが残してきた点と自分の点とをつなげてもいい。

点を線にしていくことは、書き手だけに求められるのではない。
編集者にも強く求められることであり、むしろ編集者のほうに強く求められることでもある。

点を線にしていく作業、
その先には線を面へとしていく作業がある。
さらにその先には、面と面とを組み合わせていく。

面と面とをどう組み合わせていくのか。
ただ平面に並べていくだけなのか、それとも立体へと構築していくのか。

なにか、ある事柄(オーディオ、音楽)について継続して書いていくとは、
こういうことだと私はおもっている。
編集という仕事はこういうことだと私はおもっている。
     *
四年前に「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代(はっきり書いておこう)」をそのままコピーした。
点を線にしていく、
線を面へとしていく、
面と面を、どう並べるのか。

雑誌は、面だと思う、本来は。
そうでないと感じる雑誌も多いけれど。

雑誌は定期的に出版される。
創刊号から最新号までの「面」をどう並べるのか。

ただただ順番に横一列に並べているだけにしか感じられない雑誌もある。
本来雑誌は、それまで出してきたバックナンバーという面によって、
立体を構築していくものではないのか。

Date: 3月 23rd, 2015
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(アナログディスクの扱い・その2)

(その1)を書いている時は、続きを書くつもりはなかった。
なので昨夜公開したときのタイトルには(その1)とはつけていなかった。

けれどfacebookでのコメントを読んで、続きを書くことにした。
同時に思いだしたことがあった。
二年前のaudio sharing例会で、「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」をテーマにした時に出た話だった。

西川さんが話してくださったと記憶している。
靴の話だった。

ステレオサウンド 38号に載っている岩崎先生のリスニングルーム(家)は、
周りに竹やぶがあった、ときいている。
38号のあとに引越しをされている。

だから当時岩崎先生のリスニングルームを訪れたことのある人同士では、
「どっち?」「竹やぶの方?」という会話が出る。

岩崎先生は新しい靴を手に入れられると、
その竹やぶの中を歩かれる、と聞いた。

新品のまっさらな靴で竹やぶを歩く。
当然靴は泥で汚れる。

ほとんどの人は、こんなことはやらない。
新品の靴であれば、汚さないようにふつうは気を使うものだ。
けれど岩崎先生は違っていた。

あえて汚されるのである。

Date: 9月 7th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(その2)

一緒に音を聴いていて、後からであっても、どういう音の聴き方をしているのか聞いてくる人もいれば、
まったくそんなことに関心のない人もいる。

オーディオは趣味だから、好きなように聴いて好きな音を出すものでしょう、という人を知っている。
別にひとりではない。
そういう人が多数なのかどうなのかははっきりとしないけれど、私の感覚では意外に多い、と受けとめている。

オーディオが趣味であっても、そういうものではない、と私は考えているわけだが、
このことは音の聴き方に関係してくることだし、
その結果がインターネットの普及とともに目にすることが増えてきている。

好きなように聴く──、それがその人のオーディオの楽しみ方、やり方、
さらには音楽の聴き方であるのなら、第三者である私がとやかくいうことではないのはわかっている。
それでも、あえてこんなことを書いているのは、
好きなように聴いていては、どこまでいっても、その人にいえることは好きか嫌いかの範疇にとどまる。

このことに気づいている人に対しては、私は何もいわない。
そうであれば、その人の楽しみ方であるのだから。

だが、中には好きなように聴いてきているだけなのに、良し悪しについて語る人が少なくない。
これは別項「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」で、これから書いていくことと関係しているが、
好きなように聴いていて、良し悪しは語れない、ということをはっきりとさせておきたい。

好きな音は、その人にとって良い、嫌いな音が悪い──、
これはあくまでもその人の中にあってのみかろうじて成り立つことであって、
ひとたび言葉にして誰かに語った時点で、
どんなに言葉をつらねても、好き嫌いはどこまでいっても好き嫌いでしかなく、
決して良し悪しにはならない。

にも関わらず、あれは良いとか、悪いとか、といい、
しかもそういう人に限って、誰かのことばを聞こうともしない。

Date: 8月 7th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その14)

やりたい仕事を常にやれるとは限らない。

「オーディオ彷徨」が出た1977年、私はまだ高校生だった。
2013年、「オーディオ彷徨」が復刊されたが、私はとっくにステレオサウンドから離れている。

「オーディオ彷徨」に、だから私は携わることはできなかった。

けれど、今回岩崎先生の原稿を直接手にとることが出来、
しかも「オーディオ彷徨」に所収される時点で書き換えが行われていることを見つけ、
そのことをfacebookに書いたことで、結果として訂正されることになった。

つまり7月に増刷された「オーディオ彷徨」には、間接的にはあっても携われた、という感触がある。
これが、ふたつめの嬉しいことである。

もし私がずっとステレオサウンドで働いていて、
「オーディオ彷徨」を復刊させようとしたとしても、
1977年に出た「オーディオ彷徨」の、明らかな箇所以外は訂正することができずに、
そのまま踏襲して出すことになる。

このことに思いを馳せると、ステレオサウンドから離れたから、ということにたどりつく。

ステレオサウンドにあのままい続けていたら、audio sharingをつくることはなかった。
audio sharingを公開していなければ、岩崎先生のご家族と連絡をとれることが訪れることはなかった。
そして世の中にSNSというものがあらわれ、facebookに「オーディオ彷徨」というページをつくった。
(現在は「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に変更している)

この「岩崎千明/ジャズ・オーディオ」に「いいね!」をしてくれる、
元オーディオメーカーに仕事をされていた方たちがいた。

昨年5月、毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っている例会に、
岩崎先生の娘さんと息子さんが来てくださり、「岩崎千明を語る」というテーマを行えた。
今年6月には「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」というテーマで行えた。
ここで、岩崎先生の原稿と出合えた。

「オーディオ彷徨」の復刊にあわせて、岩崎先生の原稿がぽっと私の前にあらわれたわけではない。
これらのことをやり続けてきたから、の結果だという感触は、私だけのものだろうか。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その11)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終った翌日、
この書き換えに気がついたことをfacebookに書いた。

これについて、facebookグループのaudio sharingに参加されたばかりの、
ステレオサウンド関係者のNさんからのコメントがあった。

どの部分が書き換えられているのか、その子細については書かなかった。
だから岩崎先生の原稿、レアリテ、「オーディオ彷徨」と、
それぞれどういうふうに書かれているのか列記してほしい、とあった。

もっともなことだし、その三つを列記しなかったのは、
いずれ、このブログで書いていくつもりだったし、
このことにそれほど関心をもつ人もいないだろう、と勝手に思っていたからだった。

「オーディオ彷徨」の、その箇所、レアリテの、その箇所、
そして岩崎先生の原稿の、その箇所はスキャンして、Nさんへの返事とした。

そして、すぐにNさんからのコメントがあった。
そこには、増刷する訂正したいと思います、とあった。

これは二重に嬉しい驚きだった。
まずひとつは「オーディオ彷徨」の復刻版の売行きが好調だということ。
増刷する、と書かれるくらいだから、近々増刷の予定がある、ということである。

「オーディオ彷徨」が出た1977年と、2013年の現在とでは、
本の編集作業、印刷においても変化がある。
2013年の「オーディオ彷徨」はAdobeのInDesignによってなされている。
それにオンデマンド出版だと思う。少数発行に適しているから。

Date: 7月 30th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その10)

iPhoneの中にいれている「オーディオ彷徨」を開いて照らし合せる必要は、実はなかった。
それでも確認してみた。
この「一行」が書き換えられている。
それを確認した。

いくつものオーディオ雑誌に掲載された文章をあつめて一冊の本に仕上げる際には、
細部の手直しが加えられることはある。
だから書き換えられていること自体を頭から否定するわけではない。

たとえば五味先生の「オーディオ巡礼」。
森忠輝氏を訪問されたときの文章で、最後のところが削除があることに気がつく。
これなどは、オーディオ雑誌という性格、単行本という性格を考えれば、納得できなくはない。

でも、「オーディオ彷徨」の、その一行の書き換えは「なぜ?」という気持が強い。
意味は通じる。文章の流れがおかしくなっているわけでもない。
今回、片桐さんがレアリテを「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」の会に持ってこられなければ、
おそらく誰も書き換えが行われていたとは気づかずに、そのままになっていたはず。

それにしても、なぜ、このような書き換えを、「オーディオ彷徨」の編集を担当した人は、
当時(1977年)行ったのだろうか。
「オーディオ彷徨」に載っている文章、レアリテに掲載された文章、岩崎先生の手書きの原稿、
なぜ「オーディオ彷徨」で、あのような書き換えがなされたのか、その真意が理解できなかった。

岩崎先生の書かれた(残された)文章を、ただ読み物として楽しむだけの人にとっては、
この店の書き換えは、私がこんなに問題にしていることが理解できない、となるだろう。
でも岩崎先生の文章を読み解こうとしている者にとっては、
そのオーディオ機器が岩崎先生にとってどういう意味をもつのか、どういう存在だったのか、
そのことを知りたいとおもう者にとっては、理解できない、よりも、許せない、という気持がわいてくる。

Date: 7月 29th, 2013
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(facebookにて・その9)

6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」(四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記にて)に、
片桐さんが持ってこられたのは、岩崎先生の原稿と、それが掲載された雑誌、レアリテの1975年12月号だった。

こういう雑誌があったことも知らなかった。
正確に言えば思い出せなかったのだが。

この日「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」に来てくださった方に、
レアリテと岩崎先生の原稿を見てもらうために順番にまわしていた。
なのでレアリテに載っている写真だけを見ていた。

いくつものオーディオ雑誌をこれまでみてきているけれど、
オーディオ雑誌では見ることできなかった表情の岩崎先生が写っていた。
この写真はスキャンして、facebookにて公開している。

この記事のタイトルは、いままで見たことのないものだった。
だからてっきり「オーディオ彷徨」に未収録の文章だと思い込んでしまった。

「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」が終了して、電車での帰宅途中、
ひとりになってからレアリテをひっぱり出した。
「彼がその音楽に気づいた時」、
これがレアリテ12月号の岩崎先生の文章につけられていたタイトルだった。

読み始めた。
あれっ? と思った。最初の一行で気づく。
これは「オーディオ彷徨」で読んでいることに。

こういうとき「オーディオ彷徨」の電子書籍をつくって、iPhoneに入れていると便利である。
iPhoneをジーンズのポケットから取り出して、iBooksを起動して「オーディオ彷徨」を読む。
あの文章だと、記憶だけでわかっていたから、苦もなくそれが、
「仄かに輝く思い出の一瞬──我が内なるレディ・ディに捧ぐ」であるとわかった。

タイトルを変えていたんだ、
そのくらいの気持でレアリテに載っていた岩崎先生の文章を読み続けた。
最後のほうにきて、また、あれっ? と思った。

今度の「あれっ?」は最初の「あれっ?」とは違っていた。
そして、またiPhoneを取り出すことになった。

Date: 6月 21st, 2013
Cate: トランス

トランスからみるオーディオ(その6)

ビクターのダイレクトカップル方式のMC型カートリッジに採用されたプリントコイルは、
MC101Eでは三層構造にすることで、出力電圧を1.3mVまで引き上げている。
最終モデルとなったMC-L1000ではさらにコイルを小型・軽量化し、
それに伴う出力電圧の低下に対しては両面コイルとすることで、0.22mVの出力を得ている。

そして、このMC-L1000で、はじめて、ほんとうに「ダイレクトカップル」方式と呼べる構造になっている。
MC-L1000では発電コイルが針先のダイアモンドの上端に直接取り付けあるからだ。

それまでの、ビクターのこの一連のカートリッジでは針先のすぐ近くにコイルを取り付けていたものの、
あくまでもすぐ近くであり、針先そのものに取り付けてあったわけではない。
その意味では、ダイレクトとは呼びにくい面があったわけだ。

それはビクターの技術陣がいちばんわかっていたことだろう。
だからこそプリントコイルに改良を重ね、堂々とダイレクトカップル方式と呼べる域に達している。

MC-L1000は、当時86000円という高価なカートリッジだったにも関わらず、
けっこうな数が売れたときいている。

MC1の登場から8年かけて、ダイレクトカップル方式をここまで高めてきたわけで、
それが評価されての結果であった、と思う。

これも6月5日の「岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代」をテーマにしたaudio sharing例会で、
西松さんからきいた話なのだが、
このプリントコイルが、いまは作れない、とのことだった。
少し意外な感じもする。

ICというかLSIの集積密度は非常に高くなっているし、
こういうプリントコイルはいまでは簡単に作れるものとばかり思っていたからである。

技術とは、そういう性質をもつものなのかもしれない。