ワイドレンジ考(ウェストミンスターとグールドのブラームス)
グレン・グールドが残した録音で、好きだけど滅多に聴かないようにしているのがブラームスの2枚。
「間奏曲集」と「4つのバラード、2つのラプソディ」の2枚である。
グールドのブラームスは、グールドによって弾かれたほかの作曲家、
バッハでもモーツァルト、ベートーヴェン、シェーンベルク……、
とにかくブラームス以外の作曲家の演奏とは、なにか違うものを感じている。
間奏曲集を最初に聴いたときから、そう感じていて、
グールドの没後に発売になった「4つのバラード、2つのラプソディ」を耳にしたときにも、同じものを感じた。
グールドのブラームスは、グールドの他の作曲家の演奏よりも、なまなましい感じ、印象がある。
なまなましいを生々しい、と表記すると、
私がグールドのブラームスに感じているなまなましい感じとは微妙に違ってくるようにも感じるので、
ひらがなで、なまなましい、としたい。
そのなまなましい感じのためか、グールドのブラームスを聴いていると、
聴いているこちらが頬が紅潮してくる。ひとりなのに赤面してしまう。
だからグールドのブラームスは、絶対にひとりで聴く。
どこか、グールドのなまなましい独白をきいているような気になるからだろうか。
私にとって、そういうなまなましい感じのグールドのブラームスから、
なまなましい感じ、印象を削ぎ落としてしまう音がある、と思う。
グールドのブラームスは、試聴用ディスクとして使ったことがないから、
そんなスピーカーシステムが存在するというのは想像でしかないのだが、間違いなく存在している、といえる。
どれがそんなスピーカーシステムなのか、どのスピーカーシステムのことを思い浮べているのか、
それについては書かない(意外に少なくない、と思っているのも理由のひとつ)。
グールドのブラームスを聴いてみたい数少ないスピーカーシステムのひとつが、タンノイのウェストミンスターだ。
ウェストミンスターでは、「4つのバラード、2つのラプソディ」よりも「間奏曲集」を聴きたい。
とはいえグールドのブラームスは、ひとり聴くものだと決めている。
つまりウェストミンスターでグールドのブラームスを聴くには、
ウェストミンスターを自分のモノとしなければならないわけだから、聴く機会がないのは仕方のないこと。
それでも、こういうふうに鳴ってくれるだろうな、と想像しているだけでも楽しいし、
タンノイのウェストミンスターは、私にとってそういう存在である。
REPLY))
グールドの「間奏曲集」を30年近く、愛聴しております。盤面の摩耗が気になり、数年前に中古で、サンプル盤を手に入れましたが、ほとんど音の劣化はないことがわかり、安心して月に1回はかけています。
この演奏はBCIIにぴったりはまっていますが、記事を読みウェストミンスターでも聴いてみたくなりました。