Date: 7月 17th, 2020
Cate: オーディオ評論
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オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その1)

ある人から、十年以上前にきいた話である。
オーディオ業界の人たちが集まっての、とある飲み会で、その評論家の方は言った、という。
「私は二流のオーディオ評論家ですから」と。

詳しく話をきくと、自分を卑下しての言い方ではなかったようである。
飲み会だから、酔った上での発言ではあろう。

それでも「私は二流のオーディオ評論家ですから」と、そう公言できる人はどのくらいいるだろうか。
いないのではないだろうか。

私は、いま生きているオーディオ評論家に一流はいない、と思っている。
そう断言してもいい。

それでも、いま生きているオーディオ評論家の人たちのなかで、
多くの業界関係者がいる場で、そういえる人がいるだろうか。

二流どまりと自覚している人(そんな人がいるのだろうか)であっても、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」とはなかなかいえない、と思う。

なのに、この人は卑下することなく「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったという。
二流の人ほど一流ぶるところがある。
オーディオの世界だけでなく、ほかの分野でもそんな人は大勢いる。

なのに、この人は「私は二流のオーディオ評論家ですから」といったのはなぜなのか。
この人が誰なのかは、書くつもりはない。

私は、この人が書くものを、その時までほとんど読んでいなかった。
名前はよく知っていた。顔も知っている。
まったく読まない、ということはなかった。

ステレオサウンドで仕事をしていると、オーディオ雑誌には目を通していた。
仕事としては読んでいたが、個人的に読んでいたわけではなかった。

私は、この人のことを二流のオーディオ評論家だ、と思っていたし、
「私は二流のオーディオ評論家ですから」をきいたあとでも、そう思っている。

それでも、ここで書いているのは、
この人は自分の役割をきちんと自覚している人だから、と思うからである。

決して一流ぶることのない二流のオーディオ評論家だからだ。

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