「音楽性」とは(その3)
「現代スピーカー考」を書いている。
(その1)に、なぜ、この項をはじめたのかについてふれているが、
このときははっきりと書かなかったが、現代スピーカーの代表と巷で云われているいくつかの製品を、
じつのところ、私はまったく認めていない。
それらのいくつかは、ステレオサウンドでも割と高い評価を与えているひとがいるし、
個人のサイトやブログでも、なぜか高い評価を得ている。
他人の好みに口出しするのは僭越な行為だというひともいようが、
それでも「欠陥」スピーカーを、現代スピーカーのひとつとしてあげられることには、
つよい抵抗感がたえずわいてくる。
早瀬さんとは長いつき合いで、お互いに好みは知り尽くしているところもある。
よく長電話している。本音で語れるからだ。
早瀬さんが鳴らしてきたスピーカー、鳴らしたいと思っているスピーカーと、
私が鳴らしてきたスピーカー、鳴らしたいと思っているスピーカーは、意外と重なり合うことはない。
けれど、絶対に認めることのできないスピーカーに関しては、完全に一致している。
それらは音の好みといったこととはまったく無関係で、あきからに「欠陥」スピーカーだからである。
ここに欠陥と欠点の違いがある、ともいえる。
どんなスピーカーにも「欠点」はある。
だが多くの「欠点」を抱えているスピーカーが、「欠陥」スピーカーなわけではない。