ショルティの「指環」(その9)
なにも初期LPに、高価で売買される価値がない、といいたいわけではない。
ただマスターテープの劣化を理由に、再発盤の価値を不当に貶めたり、
初期LPの価値を高めるというよりも、価格を高くするための口実として、
マスターテープの劣化のことをとやかくいうのはおかしいといいたいだけである。
初期LPを高く売りつけることだけを考えている人たちは、
エソテリックがSACDで出すショルティの「指環」についてもおそらく否定的だろう。
録音から50年前後経過している。
彼らの論理でいえば、そうとうにマスターテープの劣化は激しいはずだろうから、
それをどんなにていねいにマスタリングしても無駄だということになるだろう。
エソテリックから10月末に発売されたマゼール指揮のシベリウスのSACDを聴く機会があった。
聴く前は、正直、マゼールのシベリウスなんて興味ない、という気持があったが、
鳴りだしてすぐに、色彩ゆたかな音が融け合った、輝かしいばかりの響きに、
すこし大げさにいえば度肝を抜かれ、これぞオーディオの醍醐味だとも思っていた。
このマゼールのシベリウスも、ショルティの「指環」と同じころの録音だし、プロデューサーはカルショウだ。
これと同程度の仕上りだとすれば、ショルティの「指環」のSACDは、想像するだけでわくわくしてくる。
この期待が裏切られることはないはずだ。