Archive for 8月, 2016

Date: 8月 1st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その46)

ステレオサウンド 50号の巻頭座談会、
この最後に出てくる瀬川先生の発言は、当時の私には完全には理解できなかった、
というか、同意できなかったところがあった。
     *
瀬川 「ステレオサウンド」のこの十三年の歩みの、いわば評価ということで、プラス面ではいまお二方がおっしゃったことに、ぼくはほとんどつけたすことはないと思うんです。ただ、同時に、多少の反省が、そこにはあると思う。というのは「ステレオサウンド」をとおして、メーカーの製品作りの姿勢にわれわれなりの提示を行なってきたし、それをメーカー側が受け入れたということはいえるでしょう。ただし、それをあまり過大に考えてはいけないようにも想うんですよ。それほど直接的な影響は及ぼしていないのではないのか。
 それからもうひとつ、新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれからは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。その意味で、今後の「ステレオサウンド」のテストは、いままでの実績にとどまらず、ますます内容を濃くしていってほしい、そう思います。
 オーディオ界は、ここ数年、予想ほどの伸長をみせていません。そのことを、いま業界は深刻に受け止めているわけだけれど、オーディオ・ジャーナリズムの世界にも、そろそろ同じような傾向がみられるのではないかという気がするんです。それだけに、ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには、これを機に、われわれを含めて、関係者は考えてみる必要があるのではないでしょうか。
     *
41号から読みはじめた私にとって、50号はちょうど10冊目のステレオサウンドにあたる。
二年半読んできて、熱っぽく読んでいた時期でもある。

だから瀬川先生の《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》に、
完全に同意できなかったことを憶えている。

でも、ずっとオーディオを趣味としても仕事としてもやってこられた瀬川先生と、
オーディオに興味を持ちはじめてそれほど経っていない私とでは、
さまざまな捉え方、考え方が違ってあたりまえなのは頭でわかっていても、
このことは、心のどこかにひっかかったままになっていた。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: 言葉

〝言葉〟としてのオーディオ(その7)

〝言葉〟としてのオーディオを、ちかごろよく考えるようになってきている。
7月の上旬、ある集まりに呼ばれた。
初対面の方がふたり。特にオーディオマニアの集まりではなかった。

そのうちのひとりに、オーディオにのめりこんでいったきっかけをきかれた。
「五味オーディオ教室」だと答えた。

多くのオーディオマニアは、身近にオーディオマニアがいたことがきっかけとなっている。
身近にいる人は家族であったりもしくは親戚、学校や会社の先輩だったりする。
そこで、なんとなくイメージしていたステレオの音とは違うオーディオを聴いて……、
ということがきっかけとなる。

私にはそういうきっかけはなかった。
ただひたすら「五味オーディオ教室」を読んではまた読んで……がきっかけである。

「めずらしいですよね」と、だからいわれた。
私のようなオーディオマニアがどのくらいいるのかはわからないが、少数派ではあろう。

どちらのきっかけがいいのかは、実はどうでもいいことだと思う。
その上で、私は「五味オーディオ教室」がきっかけでよかったと、
近頃ますますそう思うようになってきている。

それは私の中に少しは「〝言葉〟としてのオーディオ」が形成されてきているからかも……、
勝手にそう思うようにしている。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: audio wednesday

第67回audio sharing例会のお知らせ(Heart of Darkness)

今月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今回のシステムは、6月に行ったマークレビンソンLNP2の試聴と基本的に同じだ。
スピーカーは喫茶茶会記のシステムの上に、JBLの2441+2397、それに今回は2405も追加する。
ネットワークは直列型6dBで、前回とは違う配線でやろうと考えているのは、
テーマが「新月に聴くマーラー」だからである。

パワーアンプはマッキントッシュの管球式プリメインアンプのMA2275。
プリ・パワーが分離できるので、パワー部のみを使う。

コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2である。
他のアンプでもいいてすよ、と、今回もLNP2を持ってきて下さるKさんは言ってくれているが、
今回もスピーカーのアッテネーターをなしでいきたいので、
どうしてもLNP2のトーンコントロールが不可欠である。

ちなみに他のアンプとは、マークレビンソンのJC2とクレルのPAM2であり、
どちらも試してみたいところだが、そういう事情のためLNP2しかない。

ただひとつ迷っている。
バウエン製モジュールのLNP2かマークレビンソン製モジュールのLNP2か。

昔の私だったら迷うことなく、
マークレビンソン製モジュールのLNP2だけでいいです、と即答していただろう。
それが先々月のaudio sharin例会での試聴で、迷っている。

結局、Kさんのご好意に甘えて、今回もLNP2を二台持ってきてもらうことになった。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 8月 1st, 2016
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その11)

マーク・レヴィンソンという男の評価は、人によって違うし、
私の中でも時代(私の年齢)とともに変化してきている。

それでも……、と思うのは、マーク・レヴィンソンは録音に携わっている。
演奏者としても、レコード制作者としても、である。

もしマーク・レヴィンソンにまったく録音の経験がなかったら、
オーディオパレットを、果してミュージックレストアラーと呼んだだろうか。

オーディオパレットの元にあたるモノをつくったのはディック・バウエンであり、
それをレヴィンソンが望むクォリティにまで高めたのがオーディオパレットでもあるわけだから、
ミュージックレストアラーという発想は、もしかするとバウエンが考えたものかもしれない。

どちらにしろマーク・レヴィンソンは、
イコライザーの本来の意味をどこかに置き忘れていたわけではない。

でも中には、置き忘れている人、イコライザーの意味が頭の中にない人もいる。
そんな人がグラフィックイコライザー、パラメトリックイコライザーを使ったら……、
踏み外してしまった例を私は何度となく聴いている。

イコライザーは、自分勝手な音をつくるための道具では、本来ない。
もちろんそういう使い方を完全否定はしないが、
そういう場合はイコライザーという言葉を使うのはやめたほうがいいとは思う。

こうやって書いていると、dbxが20/20に自動補正機能を搭載したのかが理解できる。
dbxは、イコライザーとしてふさわしい機能としての開発・搭載だったといえよう。