ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その6)
岡先生がAKGのK1000について書かれた文章をさがしていた。
とりあえず見つかったのは、
別冊 暮しの設計 No.20「オーディオ〜ヴィジュアルへの誘い」にあった記事だ。
このムックは中央公論社から1992年に出ている。
岡先生と菅野先生が監修されている。
すこし長くなるが引用しておこう。
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それ以上に優れているのは音のよいことである。今まで音のよいヘッドフォンといえば、ソニーのMDR−R10が抜群であり、スタックスのΛ(ラムダ)Σ(シグマ)シリーズの上級機も定評があったが、K1000はダイナミック型のもつ力強さとコンデンサー型の繊細さや透明度を持ち、歪み感のすくないことでも注目されるものであった。本機はパワーアンプの出力をそのまま入力すればよいようになっている。インピーダンスが120オームなので、ふつうのスピーカーを聴くときに上げるアンプのヴォリュームの位置と大差はないところで、ほどよい音量が得られる。
K1000が発表されたのは1990年だが、1991年にこのヘッドフォンのための専用アンプ(K1000アンプリファイアー)が発売された。純粋A級アンプで、ヘッドフォン専用アンプとして作られただけに、このアンプを通したときの音がもっともよい。
入出力ともXLR(キャノン端子)コネクター用によっており、入力は3端子のバランス専用、出力はLR共用の4端子が1対装備されているので、K1000を2本つなぐことができる。
このアンプが現われたので、バランス出力のあるCDプレイヤーやDATあるいはカセットデッキなどを直接モニターすることができる。音量調整も出力端子のすぐそばにヴォリュームがあるので、容易に好みのレベルに設定できる。
K1000はたしかにヘッドフォンにちがいないが、聴感覚的にはヘッドフォンを使っているという感じをまったく与えないのは、ヘッドバンドの構造とユニットの支持法が実によく考えられているのと、完全オープン・タイプであるために、長時間使用していても違和感や疲労感がまったく生じないためである。
また、プレイヤーの出力をダイレクトに専用アンプを経由させるだけで、余計な回路を通っていないので、プログラムのクォリティ・チェックにもひじょうに有用である。
筆者は、仕事の必要上新譜のテストを数日間聴きっぱなしということがある。スピーカーから出る音との音場感の差などを常時チェックしたりするけれど、大部分、K1000だけで試聴して何の不都合も感じない。ひじょうにありがたいのは夜遅く聴かなければならないときに、あまり大音量を出すことは考えものなので、机上の両サイドに置いている小型モニター・スピーカーで接近試聴という不便なことになってしまうが、K1000では、ドアを開けてレコードを大音量(?)で聴いても、隣りの部屋での睡眠の何の邪魔にもならず、昼間と同じ再生レベルで聴くことができる。
このまったく新しいヘッドフォンを使用中にひとつ新しい発見があった。聴いている音楽を同時にスピーカーからも音を出してみる。それも音量感からいえば、ヘッドフォンを耳で聴いているレベルの数分の1から10分の1ぐらいでよいのだが、このスピーカーの音によって、音場感がひじょうに広くなりパースペクティヴも感じられる。レベル差がひじょうに大きいので定位感はヘッドフォンの音で決まってしまうので、スピーカーに対するリスニング・ポジションを気にすることも必要ではない。今までサテライト・スピーカーを使ったり、いろいろな音場再生を行なってみたことはあるが、ソースのクォリティを損なわず音場感を得られるということは実におもしろい経験でもあった。
筆者にいわせれば、ミニ・ハイファイ・システムのひとつの極点が、こんなところにあるのではないかと思った次第である。ただし、K1000が17万5千円、専用アンプが22万5千円だから、合せて40万円になる。これを高いと思うか安いと思うかはその人次第だが、いまの高級コンポーネントが、100万から数百万までのがざらにあることを考えれば、筆者はこれは安いと思う。
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岡先生はK1000を「新しいヘッドフォン」と書かれている。
そうだと思う。
そういう「新しいヘッドフォン」の真価を、
知人は見抜けなかったから、K1000のことを酷評したともいえる。
ちなみに知人は、私よりは年上だが岡先生よりもずっと若い。