Archive for 4月, 2011

Date: 4月 3rd, 2011
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」(その7)

抽象的な音を、具象的な言葉で表現することの難しさ、
しかもそれをまったく面識のない人に誌面をつうじて文字だけで伝えていくことの難しさは、
いまさら、ここで私がいうまでもなく、書き手も読み手も感じていること。

同じ表現を使っていても、書き手によって、そこに含まれている意味あいは、
まったく同じこともあれば、微妙に違うこともあるし、ときには大きく違うこともある。

たとえば「乾いた音」。
ずいぶん以前から使われてきている、この音の表現でも、果してすべて同じ意味あいで使われているかというと、
決してそうではない。
ときには、ある人は、いい音の表現として使い、またあるときには、別の人は、ややネガティヴな表現としても使う。

だから読み手も、この人が「乾いた音」という表現を使うときには、こういう意味あい、
あの人の場合には、また違う意味あい、ということを知っていないと、
ただ、自分の感覚だけで「乾いた音」──、
この簡単な表現ですらも、誤解が生じてしまう。

結局、書き手と読み手のあいだに、共通認識が生れていなければ、
言葉で音を表現し、それを伝えることは、まず無理でいえる。

この「共通認識」を、どうすればつくっていけるのか。

Date: 4月 2nd, 2011
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その15)

いまでも、レコード(いうまでもないけれどSP、LP、CD、SACDなどを含めたパッケージメディアのこと)を、
残念なことにナマの演奏会の代用品としてとらえている人たちがいる。

演奏家の中にも、そういう人たちがいるかもしれない。
けれど、ショルティは、レコードを代用品とはとらえていなかった、と、私は思っている。
コンサートをドロップアウトこそしなかったものの、
グレン・グールドに近いところにいた指揮者ではないか、とも思っている。

録音に対して積極的な指揮者といえば、まずカラヤンが浮ぶ。
ショルティもそのひとりだ。

でも、このふたりのレコーディング、レコードに対する考え方は、微妙なところで違っていると感じるし、
どちらかといえばグールドに近い感じるのは、ショルティではないだろうか。

私が感じている、レコードに対する「カラヤンらしさ」がもっとも色濃いのは、
やはり1970年代のドイツ・グラモフォンへの録音であって、
そのころのカラヤンの録音と、録音のフィールドだけで活躍していたグールドの録音と、
その取り組み方には、共通するところよりも、まったく違う世界のように感じてもいた。

指揮者とピアニストという違いからくるものすはかりではない、と思っていたけれど、
80年代前半にあれこれ聴き比べていたときは、はっきりと、その違いをつかむことができなかった。

カラヤンとグールドの、録音物に対する考え方の違いは、レーザーディスクの登場によってはっきりしてきた。

Date: 4月 1st, 2011
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その14)

「天性の童心」をもつマーラーの裡で鳴っていた「音楽」、それに「音」とはどういうものだったのか、
聴き手は、指揮者の解釈を俟つしかない。

交響曲第6番の大太鼓の強打音に不満をもち、お手製の楽器をもちこんだマーラー。
しかも一度で懲りずに、次の演奏会場にまで運んでいるマーラー。
そのマーラーが、貪欲に求めていた、彼の音楽のために必要な「音」とは、
果して、かれが 生きていたころの現実の楽器で、実現できていたのか。

従来の大太鼓のほうが、ずっとまともな音をだしたにも関わらず、
マーラーはあきらめていない。

そんなマーラーが、交響曲第2番の冒頭で求めていたのは、
もしかするとショルティがレコードにおいてのみ実現できた音だったかもしれない。

つまり、言いかえればマーラーが貪欲に求めていた「音」は、
ナマの演奏会では実現できずに、録音という手段を介することで実現できた、ということになる。

Date: 4月 1st, 2011
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスの事(その41・補足)

誤解してほしくないので強調しておきたいことがある。
SL600にかぶせた吸音材はウール100%の天然素材である、ということだ。

じかに手で触っても不快なところはなく、むしろ心地よい感じのするもので、
ぎゅっと力をくわえても、ガサッ、とか、ゴソッ、といった音はしないものだ。

吸音材ということでグラスウールを想像する人もいるだろうが、
天然素材のものとグラスウールとでは、吸音材とひとくくりにはできないところもある。

グラスウールを素手で、喜んでふれる人はいないだろう。
それにグラスウールにぎゅっと力を加えると、ガラス繊維のこすれ合う音が聞こえる。
吸音材といっても、グラスウールをSL600の音にかぶせてしまっては、
私が書いていることとは別の結果が得られることになる。