オーディオの「介在」こそ(ヘッドフォンで聴くこと・その5)
ノイズキャンセリング付のヘッドフォンで音楽を聴くということ、
ヘッドフォンから鳴ってくる音楽以外のすべての音を消し去って聴きたいということであり、
このことは、音楽以外には耳を閉ざしてしまっている──、そういう聴き方だと思う。
周囲の音いっさいに煩わされずに、音楽のみに耳を傾けることができるノイズキャンセリング付のヘッドフォンこそ、
もっとも純粋な音楽の聴き方、といも言える、──とは思えない。
去年の週刊文春に載っていた、たしか市毛良枝さんの記事だったと記憶しているが、
高齢のお母様のためによかれと思ってバリアフリーのマンションにいっしょに住むことにしたら、
なぜだが元気を失われていった。
で、ある時、以前住んでいた一戸建ての家に市毛さんが戻った時に、
ご近所の方々に「お母様はどうなされています?」と訊ねられた。
結局、市毛さんのお母様が元気をなくされていったのは、
高層マンションで周りの雑多な音がまったく聞こえてこない。
そういう環境によって、だということだった。
マンションから出られて、一戸建ての家に戻られて元気になられた、とあった(そう記憶している)。
一戸建てだと、ご近時の音も聞こえている、それ以外にも人が営むことによって生じる雑多な音が聞こえてくる。
そういう音を騒音だと捉えて、まったく拒否してしまうことは、どこか不自然な行為ように感じる。
われわれはありとあらゆる音に囲まれてて生きている。
たとえば50年前、100年前に比べると、われわれの周りにある音の種類は増えているはず。
そのわれわれをとり囲んでいる音こそが、いちばん時代を反映している音だと思う。
なにも不快なほど大きな雑多音の中で、音楽を聴け、といいたいわけではない。
ただ、周りにある音をすべて拒否した中で音楽を聴くことは、ほんとうに音楽を聴くことといえるのだろうか、
そしてほんとうに純粋な音楽の聴き方といえるだろうか。
そういう疑問がわいてくる。