黒田恭一氏のこと
1988年5月、黒田先生のお宅に伺ったときのことだ。
「オーディオは趣味ではない。ぼくは命を賭けている」と、
力強い口調で、真剣な顔つきで、そう明言された。
心強かった、なんだか、無性に嬉しかった……。
「黒田恭一」の名前を知ったのは、
1976年暮に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」の巻頭に載っていた
「風見鶏の示す道を」を読んだときだ。
ちょうどオーディオに興味をもちはじめて、そう間もないときのことで、強い衝撃でもあった。
音楽を聴く、ということ、それもレコードによってオーディオを通して聴くということは、どういうことなのか。
その難しさと面白さが伝わってきたように感じていた。
正直、まだ13歳、しかも音楽の聴き手としてもまだ初心者、オーディオのことも知識も経験も少なすぎた私には、
書かれていることをすべてを、真意を理解できなかった。
読んでいて難しい、と思った。ちょうど冬休みだったこともあり、何度も何度も読み返した。
読み返すたびに、すごいと思い、この人の書くものは、すべて読みたい、とまで思っていた。
音楽の聴き手として大切なものが、はっきりと書かれていたわけではないが、
「風見鶏の示す道を」には、ある。
それを感じとっていたから、13歳の私は、「難しい」と感じていたのかもしれない。
とにかく、黒田先生の文章に、早い時期に出会っていてよかった、とはっきりと言える。
出会えてなかったら、音楽の聴き手として心がまえを持ち得なかったかもしれない。
ずいぶん違う音楽への接し方をしていただろう。
黒田先生の、新しい文章を読むことは、もう、できなくなってしまった……。