オーディオにおけるジャーナリズム(その9)
筆者と編集者のコミュニケーションとは、
筆者が書きたいことではなく、書くべきことを原稿にさせることも尽きると思う。
筆者の裡にそれを見いだし、提示し、ときに説得して書かせて「かたち」にすること。
そうやって筆者と編集者の間に信頼が構築されていく。
書くべきことを自身で見つけ出している筆者は少ないように感じている。
つまり編集者の存在理由の大半は、ここにあるのではないか。
筆者と編集者のコミュニケーションとは、
筆者が書きたいことではなく、書くべきことを原稿にさせることも尽きると思う。
筆者の裡にそれを見いだし、提示し、ときに説得して書かせて「かたち」にすること。
そうやって筆者と編集者の間に信頼が構築されていく。
書くべきことを自身で見つけ出している筆者は少ないように感じている。
つまり編集者の存在理由の大半は、ここにあるのではないか。
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」
松尾芭蕉の言葉だ。
この精神が、いま忘れかけられているように思えてならない。
五味先生の文章を読む、ということは、私にとって、それは行間からわき上がってくるもの、
香りたってくるものを、あますところなく受けとめる行為とも言える。
そのすべてを受けとめられれば、苦労はない、くり返し読みはしない。
できるかぎり素直に受けとめたいからこそ、くり返し読みつづけることで、
五味先生の鳴らされていた音が、行間にちりばめられたかのように感じられもする。
決して行間を読むという意識は持っていない。深読みもしない。
それは往々にして、己の未熟さゆえに恣意的な読み方になりはしまいか。
もちろん意図的に、そんな読み方をして、ひとりごちるのは個人の自由だ。
「思いやり」とはなんだろうと考える。
「考える」には、まず「考えつく」がある。
でも、これでは、まだまだ十分ではない。
「考え込む」だけでは、足が止まり、前に進めなくなる。
「考え抜く」ことで、目の前にある、高く厚い壁も越えられるだろう。
「思いやり」とは、「思いつく」から「思い込む」、そして「思い抜く」ことなのだろう。
オーディオ誌の記事がすべてが考え抜かれたものであるのが、もちろん理想だし、
実現できたら、ほんとうに素晴らしいことだ。
とは言っても現実は違う。
けれど、掲載されている記事の1本でいい、考え抜かれたものが読めれば、人は本を手にする。<
「おまえはどうなんだ」という声が聞こえてくる。
毎日、なにがしかを書くことは、考え抜くために必要な行為なのかもしれない。
1988年5月に、黒田先生のお宅に打ち合わせで伺ったときのこと。雑談中にある話を黒田先生がされた。
「最近の雑誌の編集者のなかには、一度も顔を合わせたことがない人が何人かいる。
最初の原稿依頼が電話で、その次からは電話かファクシミリ。
書いた原稿もファクシミリで送信してほしいと言ってくるか、もしくはバイトの子に取りによこさせる。」
黒田先生は、当時から音楽誌、オーディオ誌意外に一般誌にも原稿を書かれていた。
上の話は、その一般誌のことだった。
20年以上前から、筆者と編集者のつき合いは、大きな出版社から、すでに希薄になりはじめていたのだろう。
いま思えば、われわれはなんだかんだいって、よく筆者のお宅に伺っていたのかもしれない。
それが当り前のことだと思ってもいた。
いまはファクシミリよりも便利なメールがある。
もう、原稿の、直接の受け渡しもなくなっているのだろうか。
筆者と編集者の間には、いまや必要最低限のコミュニケーションだけしか残っていないのだろうか。
だとしたら哀しいことである。
「あったもの、なくなったもの」を読んでくれた友人のYさんが、メールをくれた。
Yさんのメールには、
「希望」というキーワードは、広告コミュニケーションの世界では、
一昨年あたりからますます重要視されている、と書いてあった。
Yさんは、「あったもの、なくなったもの」を読んで、時代というものを感じた、と書いてくれた。
私も、Yさんのメールを読んで時代を感じるとともに、
「広告コミュニケーション」という言葉に、目が留まる。
広告の世界ではなく、「コミュニケーション」がそこにはついている。
オーディオの出版の世界も同じだろう。
コミュニケーションがつくかどうかの違いは大きいはず。
2000年に、audio sharingの独自ドメインをとったときに、.netでも.orgでもなく
.comを選んだのは、コミュニケーション (communication) のcomであってほしいという想いからだ。
もちろん.comは company だということはわかっている。
人にはそれぞれ大切にしていることがある。
しかし、それは、赤の他人からすれば、どうでもよい、ちっぽけなことだったりすることもある。
それでも、当の本人には、大切なことに変わりはない。
けれど、ちっぽけなことと受けとめた、まわりの人は知らぬうちに踏みにじることもあるだろう。
その時は気がつかない、時間が経ってから、その人にとってそれが大切なことであったことを知る。
今にして思えば……と後悔するが、遅い。
私だって、そんなことをしてきたし、いまでも気がつかずにしているかもしれない。
「思いやり」とは、踏みにじる、その前に気がつく心でもあると思っている。
1989年の1月20日付けで、ステレオサウンドを辞めた。
実際には有給休暇が1ヵ月近く残っていたので、12月下旬の時点で仕事からは離れているが、
今年で20年経つ。節目といってもいいだろう。
その節目のときに、私にとってももうひとつの大事な節目である、瀬川先生と同じ46歳になるというのは、
これもなにかの縁かもしれない、と勝手に思っている。
いまはまったくオーディオとは無関係の仕事に就いている。
これから先、仕事としてオーディオと関わっていくのかどうかは、まったくわからない。
それでも、編集の仕事とは何か、という問いを、自分に投げかける。
四六時中考えているわけではない。でも、当り前のように考える。
無意味なことを考えるなんて、と思われる人がいてもいい。
考えるしかないから、考える。
編集とは、橋を架けることだと思う。
人と人、人とモノ(オーディオ)、人と音楽、人と社会、人と時代の間に橋を架けることだ。
その橋は一方通行では、意味をなさない。
そして編集に必要なものは何か、とも考える。
「思いやり」である。
この気持ちを失えば、もうジャーナリズムではなく羽織ゴロでしかない。
オーディオ評論について考える時、思い出すのが、井上先生が言われたことだ。
──タンノイの社名は、当時、主力製品だったタンタロム (tantalum) と
鉛合金 (alloy of lead) のふたつを組み合わせた造語である──
たとえば、この一文だけを編集者から渡されて、資料は何もなし、そういう時でも、
きちんと面白いものを書けたのが、岩崎さんだ。
もちろん途中から、タンノイとはまったく関係ない話になっていくだろうけど、
それでも読みごたえのあるものを書くからなぁ、岩崎さんは。
井上先生の、この言葉はよく憶えている。
試聴が終った後の雑談の時に、井上先生の口から出た言葉だった。
井上先生は、つけ加えられた。
「それがオーディオ評論なんだよなぁ」と、ぼそっと言われた。
それから、ずっと心にひっかかっている。
岩崎先生は、「オーディオ評論とはなにか」を、以前ステレオサウンドに書かれている。
そのなかで、柳宗悦氏の言葉を引用されている。
「心は物の裏付けがあってますます確かな心となり、物も心の裏付けがあってますます物たるのであって、
これを厳しく二個に分けて考えるのは、自然だといえぬ。
物の中に心を見ぬのは物を見る眼の衰えを物語るに過ぎない」
ふたつの言葉が浮かぶ。
釈迦の「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」と
川崎先生の言葉の「いのち、きもち、かたち」である。
最初に手にしたステレオサウンドは、1976年の12月に出た、
JBLの4343が表紙の41号で、中学2年の時だった。
この号の特集は、「コンポーネントステレオ──世界の一流品」というタイトルで、
いくつものオーディオ機器が紹介されている。
JBLの4343、4350、マークレビンソンのLNP2とJC2、SAEのMark 2500、ヴァイタヴォックスのCN191、
EMTの930stなどなど、このまま思いつくまま挙げていけば、それだけでかなりの分量になるくらい、
何が紹介されていたか、どんなことが書かれていたかは、かなりはっきりと憶えている。
41号と同時に発売されていた別冊の「コンポーネントの世界」との2冊で、
一気にオーディオにのめり込んでいく。
とはいえ中学2年、まだ13歳。アルバイトはまだ禁止されていたし、
中学校の英語教師の息子がもらえるこづかいは、まぁ、そのぐらいだった。
それなのに、4343がいつか買えると思っていたというよりも信じていたし、
LNP2にしても930stだって、そうだ。そう遠くないうちに手に入れられる──、
そんな夢みたいなことを、何の根拠も計画もなしに思っていたのが、いま思い返してみても不思議である。
なぜなんだろう、といまでも思う。
あのころのステレオサウンドに載っていた文章、つまりオーディオ評論には、
いまのオーディオ評論には、ほとんどなくなってしまったものかあったのか。
そうだとしたら、それは何だったのだろうか。
それとも私が歳をとって感じとれなくなりつつあるとしたら、それはいったい何なのか。
はっきりとは感じとれなくても、すべての文章にはなくても、
あのころのステレオサウンドで読んだオーディオ評論には、あきらかに「希望」があった。
この希望の存在が、単なる憧れだけでは終らせなかった。いまは、はっきりとそう思う。
1970年代は、年に2回発行されていたハイファイ・ステレオガイド。
年1回になり、名称もオーディオガイド・イヤーブックにかわり、
1999年末の号で休刊になった、いわゆるカタログ誌。
オーディオがブームのころは、販売店もカタログ誌を発行していたし、
サウンドステージを発行していた音楽出版社も一時期発行していたのに、
いまオーディオのカタログ誌はない。
カタログ誌なんて、まったく役に立たないから不要だ、と思われている方もいるだろう。
それほど鮮明ではない、モノクロの写真1枚とある程度のスペックと簡単なコメントだけでは、
なんにもわからないから、というのも理解できなくはない。
でも、意外にカタログ誌は楽しめる。
趣味にしている自転車の世界では、カタログ誌がけっこう発行されている。
フレーム本体、完成車のカタログに、周辺パーツのカタログといったぐあいに、
複数の出版社から出ていて、写真がカラーで大きく掲載されていることもあって、
手にとって見ているだけで、すなおに楽しい。
カタログ誌は、年月とともに資料的価値が高くなってくる。
カタログ誌が一冊あれば、瀬川先生のように電卓片手に、あれこれ組合せを空想しては楽しめる。
カタログ誌は、手元に一冊あると重宝する。
カラー写真で、しかも1枚ではなく数枚の写真を大きく、
スペックも発表されている項目はすべて書き写し、
どういう製品なのかについて、コメントも掲載するとなると、
ネットで公開するのが最善なのかもしれない。
ネットの最大の特長と私が考えているのは、即時性ではなく、アーカイヴ性である。
ネットでのカタログ誌はページ数の制限を受けない。
現行製品ばかりでなく、製造中止になった製品も資料として残していける。