オーディオの想像力の欠如が生むもの(その83)
オーディオの想像力の欠如した者は、どんなにお金と時間を費やしても、
おさなオーディオから脱することはできない。
オーディオの想像力の欠如した者は、どんなにお金と時間を費やしても、
おさなオーディオから脱することはできない。
オーディオの想像力の欠如した者は、《優しさを装って肯定してくれる》音に癒されるのか。
(その6)で触れた動画を、私は最後まで視聴しなかった。時間の無駄と感じたからだ。
この動画を教えてくれた人によると、
もっとすごい(ひどいレベルの)ことを話している、とのこと。
それでも最後まで見るつもりはない。
そこでの動画は、話している内容だけではなく、
音声を消して見ても、あれこれ言いたくなることが多い。
それでも今回は、あえてどこのオーディオ雑誌なのかは書かないが、
動画のリンク先はここ。
私がどう感じたのか、どう思っているのかは、
いまのところ、これ以上は書かない。
動画を見た人が、それぞれに判断すればいい。
技術用語の乱れについて書いているけれど、
もう技術用語の意味すらきちんと把握していないどころか、
無視というか、気にもしていないのか、
昔は基礎として当り前の知識だったことさえも忘れ去られはじめている。
ある人が教えてくれたYouTubeの動画を先月見た。
あるオーディオ雑誌の編集者が集まっての動画である。
どこの編集部なのか、はっきり書こうと思ったけれど、
これから変っていくのかもしれないから、今回は出さない。
ある器材の試聴動画だった。
そこにMC型カートリッジ用の昇圧トランスが登場する。
すでに製造中止になった製品である。
そこで使われているカートリッジは、ハイインピーダンスのMC型。
なのに昇圧トランスは、ローインピーダンス用のモノである。
逆(ローインピーダンスのMC型カートリッジにハイインピーダンスのトランス)は、
あえてそういう使い方をすることがあるし、それで好結果が得られることも少なくない。
けれどハイインピーダンスのMC型の昇圧に、
ローインピーダンス用のトランスを使うのは、はっきりと間違った使い方だ。
この動画に登場している人たちは、インピーダンスという知識すらないのかもしれない。
インピーダンスという単語は知っているのだろうが、どういうことなのかは知らない。
知らないからこそ、こういう使い方をしても平気でいられる。
オーディオの想像力の欠如した者は、終のスピーカーと出逢えない。
オーディオの想像力の欠如した者は、溢れるおもいをもてない。
オーディオの想像力の欠如した者は、上書きしかできないのだろう──、
とすでに二回書いた。
上書きしかできない者は、耳の記憶の集積ができない人なのだろう。
オーディオの想像力の欠如した者は、覚悟なき聴き手にしかなれない。
ずっと以前は、それこそステレオサウンドを記事だけでなく、
広告まで熱心に読んでいた。
いまは──、というと、読んでいるといえばそうなのだが、
眺めている、といったほうか近い、そんな読み方である。
そんな読み方であっても、気になるところが目につくのはどうしてだろうか。
224号でも、あった。
136ページ、特集記事である。
パラダイムのPERSONA Bのページである。
写真の下に、簡単な説明文がある。
そこに《1980年代前半に設立されたカナダのスピーカーメーカー》とある。
352ページ、傅信幸氏によるFOUNDER 70LCRの紹介記事がある。
傅信幸氏の文章の冒頭、
《パラダイム(Paradigm)はカナダ・オンタリオ州で1982年に創業した》とある。
1982年は1980年代前半だから、136ページの説明文は間違っているわけではない。
けれど、傅信幸氏が1982年と書かれているのだから、
136ページの説明文も、1982年に設立された、とすべきだ、と誰も思わなかったのか。
ステレオサウンドの編集部の全員、照らし合せることをしないのか。
編集者ではなく、編集捨になりつつある……
オーディオアクセサリーの186号の特集「“ペルソナ”を愛する評論家たち」、
この記事の担当者だったら──、そんなことをつい想像してみた。
私だったら、こんな記事は作らない、というのは無しで、想像してみたわけだ。
そのうえで、昨晩、私が書いたことを誰かに問われたとしよう。
なんと答えるか。
「ステレオサウンドとは違います」とまず言う。
「B&Wの800シリーズをあれだけ高く評価しながらも、
ステレオサウンドの評論家は誰も買わないじゃないですか。
うち(オーディオアクセサリー)の評論家は買っていますから」と。
評論家だから(業界の人たちだから)、安く買っているのだろう、と勘ぐることもできる。
実際に、多少は安く買っているはずだ。
定価で購入ということはまず考えられない。
それでも、彼ら六人は導入(購入)しているわけだ。
どんなに記事中で、素晴らしいスピーカーだ、いい音だ、と絶賛しても、
誰一人購入しないのと、六人が購入しているのとでは違ってあたりまえ。
六人のうち数人はメインスピーカーとしての導入ではないようだが、
それでも導入したという事実は、なかなかの説得力をもつことになる。
私のように勘ぐる人にはそれほどの説得力とならないだろうが、
それでも、そんな私でも、こういうことを今書いているわけだ。
私は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」はタイアップ記事と受け止めている。
では、ステレオサウンドでのB&Wの800シリーズの記事はなんなのか。
800シリーズを誰も購入しないから、タイアップ記事ではない、ということになるのか。
こんなふうに想像してみると、
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」の担当編集者は、
叛骨精神を少しは持っているのではないだろうか。
実際のところなんともいえないのだが、
ステレオサウンドにおけるB&Wの800シリーズと、
オーディオアクセサリーにおけるパラダイムのPERSONAシリーズは、
もしかすると、これから面白い展開になっていくのではないだろうか。
オーディオアクセサリーの186号を、いまKindle Unlimitedで読んでいるところ。
特集は「“ペルソナ”を愛する評論家たち」である。
ペルソナ(PERSONA)とは、パラダイムのスピーカーシステムの名称。
「“ペルソナ”を愛する評論家たち」には、
PERSONAを導入した六人が誌面に登場している。
PERSONA B導入が五人、PERSONA 3Fが一人である。
読んでいて、すごいなぁ〜、と変な感心をしてしまった。
パラダイムのPERSONAシリーズは、どの機種も聴いていないので、
どのくらいの実力なのかは知らないが、
聴いたことのある友人によると、けっこういいスピーカーだよ、といっていた。
いいスピーカーシステムなのだろう。
それにしても……、と私はやはり思ってしまう。
オーディオアクセサリーの186号の表紙は、PERSONA Bである。
そして特集が「“ペルソナ”を愛する評論家たち」で、
オーディオアクセサリーの執筆者六人の導入記。
この特集記事を、素直に読む(受け止める)人の割合はどのくらいなのだろうか。
私は、すごい(あからさまな)タイアップ記事だなぁ〜、と感心した。
ここまで堂々とやられたら、すごいなぁ〜、と感心するしかない。
もちろん、六人とも、タイアップうんぬんとはまったく無関係で、
PERSONAシリーズを導入したのかもしれない。
その可能性を完全に否定はできない。
けれど、やり方というものがあるだろう。
たとえそうであったとしても、これではタイアップ記事とは思われかねない。
オーディオテクニカ独自のVM型。
この方式を開発したのは、普通に考えれば、
当時のオーディオテクニカの技術者ということになる。
私だって、オーディオに関心をもち、ステレオサウンドで働くようになるまでは、
そう思っていた。
けれど井上先生という人を知るにつれて、
もしかするとオーディオテクニカのVM型のアイディアは井上先生なのではないのか。
そんなふうに思うようになってきた。
だからといって、何らかの確証、
それがちっぽけなものであっても確証へとつながっていくことを知っているわけではない。
井上先生に訊ねたところで、うまくごまかされたであろう。
そのことを話題にしたこともない。
それでもオーディオテクニカの創業者、松下秀雄氏と井上先生のつきあい、
そのことから私が勝手に妄想しているだけにすぎないのは自覚している。
それでも私はVM型のアイディアは井上先生と確信している。
三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。
リーダーとエース。
組織(チーム)における絶対的エースが、そのチームのリーダーとは限らない。
リーダーだからエースなわけではないし、
エースだからリーダーなわけでもない。
エースでありリーダーでもある。
そういうこともあるだろうが、おそらくそうでないことのほうが多いはずだ。
エースがいて、リーダーがいて、という組織(編集部)が理想だとして、
現実にはエースはいるけど、リーダーは不在、
その反対でエース不在だけれど、リーダーはいる。
もしくはエースもリーダーも不在ということだってある。
エースとリーダー、
どちらかだけならば、優れたリーダーがいる組織のほうが、
おもしろいオーディオ雑誌をつくってくれると思っている。
リーダーが絶対にやってはいけないこと。
だんまり、黙殺、無視だと私は思っている。
リーダー(リーダーシップ)とマネージャー(マネージメント)。
オーディオ雑誌における、このことを、今日、ある人と話していた。
リーダーではない編集長がいる。
マネージャーでしかない編集長がいる。
編集長はリーダーであるべきだ。
わかりきったことだ。
けれど副編集長的にマネージャーでしかなかったりする。
マネージャーの仕事は副編集長にまかせておけばいい。
というか、マネージャーが必要なのだろうか、とも思う。
リーダーとしての資質を持たない人が、編集長になってしまう。
オーディオ雑誌の役目がある。
それぞれのオーディオ雑誌の役割がある。
役目がわかっていないオーディオ雑誌は役割を果たせない。
名ばかりのリーダーしかいないオーディオ雑誌がそうなってしまう。