オーディオの想像力の欠如が生むもの(その85)
オーディオの想像力の欠如した耳は、「差」の世界ばかりに気を取られ、
「和」の世界であることに気づかないのかもしれない。
オーディオの想像力の欠如した耳は、「差」の世界ばかりに気を取られ、
「和」の世界であることに気づかないのかもしれない。
パラダイム、マーティン・ローガンの輸入元であるPDNのウェブサイト、
そこの会社概要には、こうある。
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社名である PDN は、”Premium Distribution Networks” に由来しています。
メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団であり、その豊富な知識や感性、ノウハウ、ネットワークを活かし製品を選定しています。マーティン・ローガン、パラダイムをはじめとして、世界中から真に価値のある一流の最先端オーディオ製品を厳選し、高品位な再生音楽芸術と文化を皆様にお届けしてまいります。
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PDNのスタッフがどういう人なのか、名前も経歴も私はまったく知らないが、
《メンバーは長年に亘りオーディオ業界に携わってきた、業界に精通するプロフェッショナル集団》、
このとおりならば、かなりキャリアを積んだ人たちなのだろう。
でも、そのキャリアとはいったいなんなのだろうか。
もちろん《豊富な知識や感性、ノウハウ》なのだろうが、
《ネットワーク》ともある。
素直に受け止めればすむことなのだが、
オーディオアクセサリーでのPDN製品の記事での取扱い方をみていると、
悪い意味で、この《ネットワーク》を捉えたくなるし、
《業界に精通するプロフェッショナル集団》とは、
それぞれのオーディオ雑誌のやり方を熟知しているということなのかしら、とも思ったりする。
ソーシャルメディアで目にしたことであり、確認しようがないのだが、
PDNはD&Mホールディングスと関係がある、とのことだ。
これが事実だとしたら、
ここ数年のデノンのタイアップ記事のあからさまなやり方と、
PDNのやり方は似ている、というか、同じように感じてしまう。
PDNとD&Mホールディングスとは無関係だとしても、
《長年に亘りオーディオ業界に携わってきた》PDNのメンバーの何割かは、
デノンで勤務していた人たちなのかもしれない。
そんなふうに勘ぐってしまうほど、
PDNとデノンのやり方はそっくりとしか思えない。
オーディオアクセサリーの187号は、186号を読んだ時から、
ある意味楽しみにしていた。
パラダイムのスピーカーシステムを、次はどう扱う(どう記事にするのか)、
それが楽しみだった。
187号は少し前からKindle Unlimitedで読める。
187号も、オーディオアクセサリー的に見事だな、と変な意味で感心した。
「パラダイムのハイブリッドスピーカーを聴こう」という記事が載っている。
パート1とパート2の二本立て。
二本あわせて8ページの記事。
続いてマーティン・ローガンの記事が4ページ続く。
ここが、オーディオアクセサリー的といえる。
パラダイムとマーティン・ローガンの輸入元はPDNである。
PDN取扱いブランドの記事が12ページ続いているわけだ。
186号からのこういう展開が、いかにもオーディオアクセサリー的だと感じる。
ここから脱することができるのか──、
と書きたいわけではない。
これこそがオーディオアクセサリーなのであって、
編集者たちも脱しようとはまったく考えてないだろうし、
そこに乗っかってくるクライアントもいる。
《過去を大きな物語として語れる》と
過去を物語として語れると決して同じではない。
大きな物語なのか、物語なのか。
「大きな」がつくかどうかの違いは、小さな違いではない。
(その1)で、
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
そう書いた。
このことは、編集者、オーディオ評論家側だけの問題ではない。
《過去を大きな物語》とした語られたものを、読み手側は求めていない、
そういう読み手が増えたことも関係してのことだ。
《過去を大きな物語として語れる編集者は消滅しました》
七年前、川崎先生が語られていたことばだ。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めていると、
川崎先生の、このことばが浮んでくる。
《過去を大きな物語として語れる》編集者だけでなく、
《過去を大きな物語として語れる》オーディオ評論家も消滅した。
私は、そう感じている。
オーディオの想像力の欠如した者は、「正しい音なんて、ない」と断言できてしまう。
技術用語の乱れをそのまま放置しているオーディオ雑誌の編集者。
乱れていること、間違っていることにすら気づいていないから、そのまま放置なのか。
好きなことをやるためには、やりたいことをやるためには、
やりたくないこと、面倒だと感じることをもやっていなければならない。
オーディオの勉強を、技術用語の乱れに気づいていないオーディオ雑誌の編集者は、
好きなこと、やりたいことのみをやろうとしているのか。
これから先もそのままなのだとしたら、
この人たちも、おさなオーディオでしかない。
オーディオの想像力の欠如した者は、どんなにお金と時間を費やしても、
おさなオーディオから脱することはできない。
オーディオの想像力の欠如した者は、《優しさを装って肯定してくれる》音に癒されるのか。
(その6)で触れた動画を、私は最後まで視聴しなかった。時間の無駄と感じたからだ。
この動画を教えてくれた人によると、
もっとすごい(ひどいレベルの)ことを話している、とのこと。
それでも最後まで見るつもりはない。
そこでの動画は、話している内容だけではなく、
音声を消して見ても、あれこれ言いたくなることが多い。
それでも今回は、あえてどこのオーディオ雑誌なのかは書かないが、
動画のリンク先はここ。
私がどう感じたのか、どう思っているのかは、
いまのところ、これ以上は書かない。
動画を見た人が、それぞれに判断すればいい。
技術用語の乱れについて書いているけれど、
もう技術用語の意味すらきちんと把握していないどころか、
無視というか、気にもしていないのか、
昔は基礎として当り前の知識だったことさえも忘れ去られはじめている。
ある人が教えてくれたYouTubeの動画を先月見た。
あるオーディオ雑誌の編集者が集まっての動画である。
どこの編集部なのか、はっきり書こうと思ったけれど、
これから変っていくのかもしれないから、今回は出さない。
ある器材の試聴動画だった。
そこにMC型カートリッジ用の昇圧トランスが登場する。
すでに製造中止になった製品である。
そこで使われているカートリッジは、ハイインピーダンスのMC型。
なのに昇圧トランスは、ローインピーダンス用のモノである。
逆(ローインピーダンスのMC型カートリッジにハイインピーダンスのトランス)は、
あえてそういう使い方をすることがあるし、それで好結果が得られることも少なくない。
けれどハイインピーダンスのMC型の昇圧に、
ローインピーダンス用のトランスを使うのは、はっきりと間違った使い方だ。
この動画に登場している人たちは、インピーダンスという知識すらないのかもしれない。
インピーダンスという単語は知っているのだろうが、どういうことなのかは知らない。
知らないからこそ、こういう使い方をしても平気でいられる。
オーディオの想像力の欠如した者は、終のスピーカーと出逢えない。
オーディオの想像力の欠如した者は、溢れるおもいをもてない。
オーディオの想像力の欠如した者は、上書きしかできないのだろう──、
とすでに二回書いた。
上書きしかできない者は、耳の記憶の集積ができない人なのだろう。