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Date: 10月 22nd, 2012
Cate: 「オーディオ」考

できるもの、できないもの(その5)

「再生音は現象」ということを、今年は実感することが多かった。
こうやって毎日ブログを書きながらも、そのことを実感していた。

再生音を現象と捉えることで、いくつかのことがらがつながってくる。
納得のいくこともある。

そして、ここでいう再生音とは、ステレオの再生音のことである。
モノーラルの音源をスピーカーシステム1本で鳴らすモノーラル再生音は、ここでは含まない。
モノーラルの音源でも、左右2本のスピーカーシステムで再生するのであれば、
その再生音は現象ということになる。

Date: 9月 24th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

できるもの、できないもの(その4)

それにしても、なぜ音は所有できないのか……を考えると、
以前「再生音は……」で書いたことに行き着く、というより行き当る。

「生の音(原音)は存在、再生音は現象」だから、
われわれオーディオマニアはオーディオ機器、それを鳴らす環境は所有できても、
そこで鳴る音、鳴ってくる音は所有できないのではないのか。

Date: 9月 13th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

できるもの、できないもの(その3)

オーディオに関することで家族への言い訳をあれこれ考えずにすんだ人は、
めぐまれた人といえるのだろうか。

家族といっしょに暮らしていて、
誰にもオーディオ機器の購入、その他に関することでまったく言い訳する必要のない人は、
まず金銭的にもめぐまれている人であることは間違いないであろう。

言い訳なんぞしなくてすむならしたくはない、考えることしたくはない。
そんな言い訳をしなくてもすむのだから、すくなくともオーディオ機器の購入に関しては、そうであるのだから、
やはりめぐまれている、ということになる。
そして自由に、欲しいオーディオ機器が登場したら、買い替えられる。

買い替える、もしくは買い足すことに誰も文句を言わない、
そういう環境の人は、ほんとうに誰にも言い訳をしていない、と言い切れるだろうか。

確かに家族に対しては、言い訳をする必要はないからしない。
けれど、彼らの中には、自分自身に対して言い訳をして、あれこれ買い替え、買い足している人だっている。

あのスピーカーシステムがあれば、こういう音が出せる、
あのパワーアンプに買い替えれば、このスピーカーからもっといい音を出せる、
ケーブルをさらに高価なものにしたら……、
つねにこんな言い訳を自分に対してしていない、と言い切れるだろうか。

オーディオは自分自身に言い訳をしなければ、いい。
自分自身に言い訳をしてしまったらダメなのが、オーディオである。

Date: 9月 12th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

できるもの、できないもの(その2)

家族の理解が得られない……というオーディオマニア共通の悩みがある。
ひとり暮らしであれば、そんな悩みは当然ないし、
家族といっしょに暮らしていてもそんなこと悩みなんてない、という人もいることだろう。

でも多くのオーディオマニアにとって、なかなか家族の理解が得られない、得られにくいということは、
オーディオ機器をなにか購入する際、家族を説得することから始めなければならないし、
言い訳も考えておく必要も生じてくる。

なぜ家族の理解が得られないのか──。
音楽が嫌い、という人は少ないはず。
あまり音楽には深い関心はない、という人でも、一曲か二曲、
あるいはもうすこし多いだろうが、想い出の曲とか好きな曲はある、と思う。
音楽は好き、という人も大勢いる。

にも関わらず、家族の理解が得られないのは、なぜなのか。
昔からいわれていることだが、
これまでとくに答を見つけようとはしてこなかった。
気儘なひとり暮らしを続けているからなのだが、
昨晩、ふと気づいたことがある。

音は所有できない、と書いた。
実は、このことを直感的に知っている、というより気づいている人、といったほうがいいだろう。
こういう人たちを相手に、理解は得られないのではなかろうか。

オーディオマニアの目的は、いい音を所有することだとしたら、
いくらお金をつぎ込んだとしても、あくまでも所有できるのはオーディオ機器であって、
どこまでいっても、いい音を所有できるわけではない。

もしかするとオーディオという趣味が、オーディオ機器を所有することであれば、
家族の理解はもっとたやすく得られるのかもしれない。
けれど、オーディオという趣味は、いい音を求める趣味でありながらも、
音そのものは絶対に所有できないものであることを、すでに説得すべき相手が知っていたら、
言い訳をするしかないのかもしれない。

Date: 9月 11th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

できるもの、できないもの(その1)

二度と同じ音は出ない、もしくは出せない。
ずっと以前からいわれ続けていることだ。

昨夜、素晴らしい音で鳴ってくれたのに、その面影も感じさせない音で鳴ることもある。
極端に大きく音が変ってしまうこともあれば、
わずかな違い──けれど、その所有者にとっては決して無視できない違い──のときもある。

システムはなにひとついじっていない。
にも関わらず音は、まるで意志をもっているかのように気まぐれな表情を、
システムの所有者に対してみせる。

理由はいろいろいわれている。
電源の状態が日々違うからだ、とか、天気(気温、湿度など)の違い、
それに聴き手の体調や精神状態、といったことが絡んでの音の変化であって、
実のところ、装置から出る音は変っていない、という人もいるけれど、
これらの要因は確かにあるけれど、それだけではなく明らかに音は変化している。

つまり、二度と同じ音は聴かせない。

なぜなのか。
つまるところ、音は所有できない、からだ。

われわれが所有できるのは、あくまでも音を出す器械(オーディオ)であって、
そこから出る音を所有しているわけではない。

だから音は変っていく。
二度と同じ音を聴かせないのだと思う。

そう考えると、われわれは音だけでなく、音楽も所有できないことに気がつく。
所有できるのは、アナログディスク、CD、SACD、配信されたファイルであって、
音楽そのものを所有している、と果していえるだろうか。

人が驚くような枚数のディスクを所有していても、音楽を所有してはいない。

Date: 11月 17th, 2014
Cate: 所有と存在

所有と存在(その2)

できるもの、できないもの」の(その1)で、音は所有できない、と書いた。
二年前に書いた。
いまもその考えは変らない。

音は所有できない。
所有できるのは、あくまでもオーディオ機器とそれを設置し鳴らす環境でしかない。

オーディオとはオーディオ機器とその環境だと定義すれば、オーディオは所有できることになる。
オーディオとは、つまるところ「音」であるとするならば、オーディオは所有できない。

音楽に関しても同じことはいえる。
SP、LPといったアナログディスク、CD、SACDといったデジタルディスク、
これらを所有することはできる。
お金が許すかぎり、置けるスペースがあるかぎり所有できる。

これらのパッケージメディアを音楽と定義するなら、音楽は所有できるといえる。
アナログディスクは溝の刻まれた円盤でしかない、
デジタルディスクは肉眼では見えないほど小さなピットが無数にある円盤でしかない。

これらを再生するシステムを所有していても、音楽を所有できる、といえるだろうか。

所有できるのは、器である。
LPという器、CDという器、
アンプやプレーヤー、スピーカーといったオーディオ機器という器、
リスニングルームという器。

器だけである。