揺れるまなざし
1976年秋、テレビから流れてきた資生堂のコマーシャルには、
目を奪われた、と表現したらいいのか、
当時13歳だった私は、もう一度「ゆれる・まなざし」のコマーシャルを見たいと思った。
前年にソニーからベータマックスの家庭用ビデオデッキは発売されていたけれど、
普及しているわけではなかった。
ビデオデッキがあれば、何度も見れるのに……、と思ったし、
同じクラスだったT君もそうだったようで、
彼は化粧品店に頼んで、「ゆれる、まなざし」のポスターを貰っていた。
真行寺君枝という名を、このとき知った。
バックに流れていたのは、小椋佳の「揺れるまなざし」だった。
小椋佳のCDは一枚、「揺れるまなざし」が収められているのだけを持っている。
情景が浮んできそうな歌詞。
けれど「揺れるまなざし」だけは、はっきりとした情景として浮ぶことはなかった。
真行寺君枝は美しかった。
それでも真行寺君枝のまなざしが、「ゆれる、まなざし」とは感じられなかった。
「揺れるまなざし」の歌詞は、物語のようでもある。
冬も近くなった秋なのは、歌い出しの歌詞でわかる。
続く歌詞、
めぐり逢ったのは
言葉では尽くせぬ人 驚きにとまどう僕
不思議な揺れるまなざし
こんなことが現実にあるのか、と思った。
あったらいいなぁ、とも中学二年の私は願ってもいた。
現実にはそんなことはなかった。
50年以上生きていれば、ハッとするほど美しい人とすれ違うことはある。
それでも「揺れるまなざし」が描く情景とは、違っていた。
《驚きにとまどう》ことはなかった。
《言葉では尽くせぬ人》ではなかった。
先日、横浜に朝から用事があった。
信号待ちをしていたときが、まさに「揺れるまなざし」だった。
近くに立っていた人のまなざしがそうだった。
驚きにとまどった。
言葉では尽くせぬまなざしだった。
「揺れるまなざし」から41年経って、
歌の世界だけではないことを知った。
すぐに「揺れるまなざし」を思い出していたわけではない。
しばらくして、すこし落ちついて「揺れるまなざし」を口ずさんでいた。