「音楽性」とは(人間性と音楽性)
人間性を辞書でひけば、
人間を人間たらしめる本性。人間らしさ、とある。
音楽性は載ってなかった。
けれど人間性の意味でいえば、
音楽を音楽たらしめる本性。音楽らしさ、ということになる。
音楽といっても、これまでに多くの(無数の)音楽が生み出されている。
あまりにも、音楽という言葉がカバーしている範囲は広い。
だからもう少し限定して、たとえばベートーヴェンの音楽、
もっと狭めればベートーヴェンの作曲した曲ひとつ、
ピアノソナタ第32番ということに限れば、
音楽性とは、
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番をベートーヴェンのピアノソナタ第32番たらしめる本性、
ベートーヴェンのピアノソナタ第32番らしさ、ということになる。
音楽を聴くことは、聴いている音楽への共感でもある。
なにがしかの共感があるから、聴き手は、その音楽を素晴らしいと思ったり、感動したりする。
だが純粋な共感はあるのか、とも考える。
100%な共感ともいおうか、そういう共感はあるのか。
そんな純粋な共感をもって音楽を聴いている人もいるかもしれない。
けれど私はそうではない。
だから純粋な共感はあるのか、と考えるわけだ。
私はわたしなりの共感で音楽を聴くしかない。
ということは、そのわたしなりの共感というのは、私の人間性と深く関わっているといえるわけで、
そうなると、私がベートーヴェンのピアノソナタ第32番に感じている音楽性とは、
つまりは私の人間性と切り離すことはできない、ということになる。
純粋な共感をもって音楽を聴いている人であれば、そうはならないだろう。
だが、そんな人がどれだけいるのだろうか。
私のまわりに、そういう人はいるだろうか。
いないとすれば、私のまわりにいる人たちがいうところの音楽性とは、
この言葉を発した人の人間性と深く関わっているのではないか。
にも関わらず、音楽性ということばを、ひとつの共通認識として使いがちである。